"How do you say NO to God?”
(神に嫌だと言えますか?)
アメリカ・ボストングローブ紙による実話を元に映画化されたアカデミー賞受賞作「スポットライト」(2015)は、アメリカ国内外の数百名のカトリック神父による子供達への性的虐待と、数十年に及ぶ教会の組織的な隠ぺいという信じがたい事実が大きな話題となりました。
前回と前々回の記事で天国から宗教界は大変厳しい目で見られていることをお伝えしてきましたが、キリスト教についても同じことが言えます。宗教界への厳しい目は真面目に役目を果たしている方や個々の信者へ向けたものではなく、こうした堕落した聖職者や組織に向けられています。
関わった聖職者はいつの日か、イエスを神と信じても自分達の犯した罪が帳消しになるわけではないと、必ず身をもって知ることになります。
今回の【前編】では「イエスの使命」「奇跡」「復活」についてお伝えし、次回の【後編】では「聖書」「イエスの再臨」についてお伝えする予定です。いずれもキリスト教教義の根幹に関わることですが、内容は総じて教義と反することになります。
キリスト教に親しみがある方にも愛の観点から霊的知識を伝えられるよう、祈るような気持ちで文字を綴ります。受け入れられる範囲でお読み下さい。
主な参考文献:ベールの彼方の生活、私は霊力の証を見た(M・テスター)、インぺレーターの霊訓、シルバーバーチの霊訓、神と私(遠藤周作)
イエスの使命
信仰とは99パーセントの疑いと、1パーセントの希望だ。
フランスのキリスト教作家・ベルナノス
私が好きな歴史小説家に「沈黙」で有名な遠藤周作さんがいます。13歳の時洗礼を受けた遠藤さんは、長年親しんできた聖書が必ずしも真実を伝えていないことを知り、情けなさや幻滅をお感じになったそうです。遠藤さんはその後聖書の域を超え、フランス文学や歴史からも人生を深く探求された方で、学ぶことの多い作品ばかりです。
私達も聖書の域を飛び出してみましょう。イエスはそれまでの人類史上、類を見ない大きな使命を携えていました。人々の罪を背負うためではありません。当時のユダヤ教の教義によって広められていた誤ちだらけの霊的真理を改め、正しい霊的真理を普及することです。
たった一人の人間にこれほど大きな使命が与えられたのは史上例がないことです。誤解されがちですが彼の使命は西欧社会のためであり、人類全体へ向けたものではありませんでした。
イエスは物質主義に陥っていた当時の人々に間違いを説き、自分が蒔いた種が生み出したものは自分がいつか刈り取るという霊的自然法則の存在を教え、日常生活の中の一つ一つの行為の大切さを説きました。生きる基準を俗世の低次元な欲望に求めるのではなく、ひたすら愛に生きるよう説いたのです。
豊富な霊的知識と崇高な無私の精神を有していたイエスは、率先して悲しみにくれる人を慰め、自暴自棄になっている人に自分を愛することの大切さを教え、無知によって過ちを犯している人を優しくたしなめるなど、惜しげもなく愛と知識を分け与えました。
また彼は豊かな霊能力を有し、霊現象を起こすことで霊の世界や霊力の実在を証明しました。心霊治療能力もあり、よく知られているように多くの病める人々に手を差し伸べました。
イエスはまさに現代にも通じる生き方の最大のお手本のような人です。そのまま伝わればよかったのですが、後世の聖職者は彼の生きざまよりも死に方に人々の意識を向けさせ、死によって全人類の罪を償った救世主(キリスト)としました。こうして模範的な人・イエスは本人の意思に反して神になりました。
それはイエスにとって大変迷惑だったことをいくつかの霊界通信は伝えています。彼ほど、不当に崇められた人は人類史上他にいません。
聖書については次回お伝えしますが、教義は神学の領域内のお話で、後世の人が考え出したものです。イエスが行ったとされる奇跡にも、完全な作り話と、実際に行ってはいるものの、その意図が誤って伝えられているものがあります。次にその"イエスの奇跡”に焦点を当ててみましょう。
イエスの奇跡の真実と目的
イエスの奇跡の話はたくさんありますが、ここでは大事な意味を持つ多くの病人を治したことに絞ってお伝えします。これは心霊治療(spirit healing)と呼ばれる方法で、イエスに限らずどの時代でも全く同じ方法で治療をできる人がいました。
20世紀のイギリスでは「イエスを超える」と称されたハリー エドワーズ(1893-1976)という人が有名で、当ブログでも以前ご紹介したモーリス テスターもいます。お二人共シルバーバーチの交霊会に出席するなど、霊的知識の豊富の方でした。
イエスが大病を患った人を一瞬で治してしまう話を聞くと、まるでイエスから特別な治癒力が出ているような気がしますが、それは違います。いかなる霊能者もヒーラーも自分から特別な力を生み出すことはできません。できるのは自分自身の体を霊力の通り道にすることだけです。
仕組みはこうです。治療家が患者を治療する際は、患者の体に手を置き、精神を統一します。謎めいた呪文も儀式もいりません。精神統一は霊界側のガイド(守護霊・背後霊)とつながるためです。
霊界側のガイドはかつて地上でも医師だった人が多く、死後天国にて研鑽をつみ、地上にはない物質で治癒エネルギーをつくり、地上の治療家に送ります。その治癒エネルギーが治療家の体を通り、手を通じて患者の体に電光石火の如く一瞬にして流れ込みます。
すると、医学的に末期症状と診断されたり不治の病と言われているような症状が、一瞬にして奇跡のように治ります。中には治療した際は効果がなくても数日後に治ったり、複数回治療して完治する場合もあります。(中には完治とは言えなくても症状がかなり良くなることもあります。)
患者が霊的なことに心を開いていた方が効果は高くなりますが、中には全く治らない場合もあります。イエスも全員を治せたわけではありませんでした。
理由は二つあって、一つはカルマが絡んでいる場合です。霊的成長のため、どうしても患者がその病気等を経験しなければならない場合です。もう一つは単に寿命の場合です。
心霊治療の目的は、ただ単に患者の病気を治すことではありません。神をも恨みたくなる激痛の毎日から解放することで、同時にその人の魂を霊的世界へ向けさせるためです。
当然ながら神秘的な奇跡体験をすることで患者の多くは心を開いていきます。イエスの意図もそこにあり、神の力が全ての人に内在すると説きました。大切なのは人生に奇跡を求めることではなく、一人一人が奇跡の存在だと気づかせ、神の力と調和した生き方を教えました。
ちなみに心霊治療家のモーリス テスターを霊界側から支えていたガイドはローマ帝国時代にギリシャで医師として生きたガレン(129-201)です。テスター氏は患者から一切料金を取らず、患者のタクシー代まで全額負担していました。
ハリー エドワーズには19世紀に消毒殺菌法を完成した英国人外科医ジョセフ・リスター(1827-1912)と狂犬病予防接種法を発見したフランス人化学者ルイ・パスツール(1822-1895)が霊界から支えていました。人の使命感は死を超えて続くということですね。
イエスにも霊界側から支えるガイドがいて、"天使”として知られ、一度もこの世に生まれてきたことのない高級神霊です。イエスはガイドと瞑想中によくコンタクトをとり、日常的に援助を受けていました。
ガレンの肖像画(出典:ウィキペディア・ガレノス - Wikipedia)
人間イエス「復活」の真相
もう十年以上前ですが、カトリックの総本山であるバチカンを訪れた際、イタリア人ガイドの女性が、「イエスがもし復活しなかったらただの人でした。でも彼は死後三日たってから復活しました。だから神なんです!」と流ちょうな日本語で説明してくれました。イエスの復活エピソードは奇跡の中でも最大のものです。
イエスは確かに復活しました。ただし、肉体のまま復活したわけではありまん。霊体として復活しました。霊体は死を境に授かるわけではなく、私達は今現在でも使っています。直感を得る場所も霊体です。死の瞬間、肉体と霊体をつなぐ一本のひものようなもの(シルバーコード)が切れます(痛みは一切ありません)。すると肉体そっくりの霊体で天国へ導かれます。
イエスは霊体で弟子の前に姿を現しました。弟子たちから霊的エネルギーを少しずつ採取し、エネルギーレベルを調整することで肉眼で見えるまで霊体を物質化したのです。人間が死後も生き続けることをイエスは身をもって知らせました。
現代の霊能者も例えば何人かの前で霊視をする時、霊能者を支える霊界側のガイドがその場にいる全員から少しずつ霊的エネルギーを取り込み、霊能者のエネルギーレベルを上げます。同じようなメカニズムです。
イエスに限らず、私達全員が死後、霊体を伴って完全復活します。信仰心があろうが無宗教だろうが、皆、永遠に生き続けます。いかなる病気や怪我、障がいも死後、完全に治ります。
東日本大震災の後には、他界した親族や友人が元気な姿で現れたのをはっきり見たという証言が相次ぎました。それをNHKも特集していました。
今回お伝えしたかったことは、病気を治す、復活するなど、イエスが起こした奇跡といわれるもので実際に起こったことは、その背後に霊的なメカニズムが存在し、イエスはそれらを熟知した上で行っていたということです。
イエスは霊的知識とメカニズムを駆使して、自らの利益や栄光は一切求めず、助けを求める人を無条件に受け入れ、愛の行為を実践しました。たとえ復活した姿を見せていなかったとしても、イエスの素晴らしさは変わりません。
宗教の落とし穴と神の本当の居場所
キリスト教だけでなく、宗教の大きな落とし穴の一つは、神や仏を求めて、わざわざ数千年前まで過去を遡り、当時外国で真実と思われていたことを人生の指針としてしまうことです。時にありもしない「最後の審判」を死後も延々と待っている人までいます。人間のように怒ったり罰を与えたり自分を信じた人だけ救う神の概念は、あまりにもお粗末で古すぎます。
神を求めて自分の外側の世界を探す時代はもう終わりです。誰かを崇拝する必要もありません。なぜならイエスを通して流れた霊力や霊的真理は、現代にも全く同じものが流れていて、それは宗教的な書物や建造物内ではなく、私達一人一人を通して平等に流れているからです。
神は、常にあなたの中にいます。それはイエスが最も伝えたかったことでもあります。ありのままの自分をこよなく大切にしている時、誰かに思いやりの心で接している時、日常生活の中で感謝している時、あなたは神と深くつながっています。そして何よりも、内在する神の存在をいつも心にとめ、「大丈夫。私なら必ずできる!」と自分自身を信じさえすれば、人生に恐れることは何一つなく、何事も乗り越えていくことができます。
今日も希望発見ブログを最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Your spiritual friend,Lani
【第二回の聖書・イエスの再臨】はこちらです↓