希望発見ブログにお越しいただき、本当にありがとうございます。今回の記事には、特定の宗教に深い信仰心がある方や親しみがある方にとっては、到底受け入れがたい内容もあるかと存じます。宗教によって心救われたご経験がある方にとっては尚更です。
私としては誰一人不快な思いをさせたくありませんが、既存宗教の教義内容と天国の実像との間にあまりにも大きなギャップがあるため、信仰心が厚い方ほど死後大きなショックを受けたり、戸惑うことがあるという現実がある以上、避けては通れません。
尚、今回は天国の視点から見た宗教組織・信仰全般についてお伝えし、次回以降、仏教やキリスト教についてもお伝えする予定です。例えば「お経」や「戒名」の、死後の世界との関連性についてです。信仰は個人の自由です。皆様の受け入れられる範囲でお読みください。Lani
- 天国についてのQ&A①*宗教の罠と犠牲者
- 天国についてのQ&A②*宗教組織に憤る天国の住人達
- 天国についてのQ&A③*信仰と天国での現実
- 天国についてのQ&A④*信仰の深さが迷いを生む
- 天国についてのQ&A⑤*宗教指導者の後悔
- 天国についてのQ&A⑥*霊的知識を伝える責任
天国についてのQ&A①*宗教の罠と犠牲者
Q1:天国に関する宗教の危険な側面は?
A1:各宗教には素晴らしい霊的知識が含まれる一方、長年の人類史の中で時の権力者や宗教者によって霊的真理の内容が勝手に付け加えられたり削除されるなど、何度も改ざんされ、霊的なこととは全く関係のないこともたくさん含まれています。
そのため、いかなる宗教を信仰していたとしても信仰心が深ければ深いほど、死後、生前信じていた教義の内容と天国の実像との違いに大きなショックを受けます。
聖書に代表される各宗教の教典には、多くの挿話や作り話がたくさん盛り込まれていたことを知り、「何で自分は人間がつくった話を頑なに信じてしまったんだろう」と深く思い悩みます。
特に子供の頃から親の信仰を引きついだ場合、純粋な心に植え付けられた宗教的な世界感がなかなか抜けきらず、天国でも魂の成長の足かせとなってしまいます。私達人間は霊的に皆一つであり、信仰によって分け隔てられるべきではないということに理解が及ばないためです。
霊界側ではそうした人の深い信仰心に配慮しつつ、指導的な役割をする霊が一人一人につき霊的教育を一からすることになります。しかし個々の意識が地上に比べ遥かに大きな位置を占める天国において、それは決して容易なことではありません。
結局、宗教の"犠牲者”をこの世から送り込むことをやめない限り、本人だけでなく、天国という安らぎの世界にも悪影響を及ぼします。天国では全ての界層が融合し互いに影響を与えあっているからです。
天国についてのQ&A②*宗教組織に憤る天国の住人達
Q2:天国の住人は地上の宗教をどう見てる?
A2:天国には本来霊的なこととは全く関係のない宗教的な教義を信じた人が、日々世界中からやってきます。それが、個々の霊的成長を遅らせているだけでなく、何世紀にも渡り地上で多くの戦争や偏見、迷信を生んでいる事実に、霊的進化を遂げた霊界の上の界層の人ほど、心底辟易し憤っています。憤ることなど滅多にあることではありません。
憤りの対象は信仰心を持っている一個人ではありません。自らの利益や立場を優先している宗教組織と宗教指導者に対してです。真摯に慈善活動などをしている人がいる一方、教義の中には霊的真理と全く関係のないことが多くあることを知りながら、それをあたかも真実であるかのように信者に説いている宗教関係者が多くいることは、何一つ見過ごされることなく、天国の人達はわかっています。
こうした理由から霊界では地上の宗教組織や施設への霊的な働きかけをやめ、霊力(神聖な力)の流入を一個人に限っています。呆れ果てているのです。
霊的なことに関して人間が組織を作るとどうしてもその中で上下関係ができ、組織同士の対立や競争が生まれ、欲がからみ、いつしか低級な感情に流されてしまうことが多々あることは、歴史的事実からも明白です。関係者の中で思い当たる方がいれば、先頭に立って何かを変える時かもしれません。
天国についてのQ&A③*信仰と天国での現実
Q3:特定の宗教への信仰心を持つ人だけが天国のより良い場所へ導かれることはある?
A3:天国は多くの界層にわかれていて、私達がたどり着く先は、一人一人の言動の中の善性によって決まります。一部に厚い信仰心を持つ人達が集まる場所がありますが、天国はあらゆる宗教を超越した世界であり、信仰によって決まるわけではありません。魂そのものに、仏教もキリスト教もイスラム教もありません。
「善性」とは日常生活の中で養われるものであり、宗教的な施設に足を運んだ数や関連本を読んだ量、お布施の金額で決まるものではありません。
釈迦を尊敬するのなら、彼のように生きることです。イエス キリストを尊敬するのなら、彼のように生きることです。純粋に愛に生きた彼らは決して過去の人物ではなく、天国では宗教の枠を超え、多くの人々に心から尊敬されているのですから。
天国についてのQ&A④*信仰の深さが迷いを生む
Q4:同じ宗教の信者でも信仰心の深さによって、天国での生活は変わる?
A4:信仰といっても中には教義の内容に半信半疑の方もいます。そういう方は教義内容が死後一気に吹き飛び、天国での環境に早く慣れていきます。
また、厚い信仰心を持っている方の中には、自分と同じ信仰を持つ人しか受け入れない排他的な人がいる一方、善性が強く寛容で大変思いやり深い人も多くいます。
善性の強い人は、少しずつ他の宗教の人達と交わる機会を持つようになります。信仰によって本当は人に違いがないこと学び受け入れていくようになります。そして、もし生まれる場所が違っていれば、他の宗教を信仰していた可能性があったことも学びます。
また神聖な力は「聖なる本」や「聖なる地」「宗教施設」に閉じこめられるわけではないことや、歴史上の一人の人物の中だけに宿っているわけではないことも学んでいきます。様々な学びの機会を経て宗教的な教義の束縛が解かれていくと、上の界層へ進んでいきます。
ただ、中には地上人生で大切にしてきた教義に固執する人もいます。何とか宗教的束縛から解放しようとする霊的グループもいて、温かい目で見守るのですが、本人が生前同様、宗教的な世界を頑なに信じ続けると、他の人は手出しできなくなります。すると地上の時間にして時に何百年、何千年も、同じ場所に居続ける人もいます。
天国についてのQ&A⑤*宗教指導者の後悔
Q5:事実とは異なる霊的知識を伝えた宗教指導者が、死後責任を問われることはある?
A5:前々回の記事で、霊的自然法則・カルマについてお伝えしました。一人一人の行動と同質の結果が、良くも悪くも自分に自動的に返ってくることです。カルマは特に霊的なことを伝えている人に重い責任がかかります。なぜならその内容を伝えられた側の霊的成長に直結するからです。
カルマについて大事なのは「動機」です。宗教関係者の方で、自ら信者に説いている内容が実は自分でも半信半疑だったり、事実と違うとわかっていながら事実のように伝えたり、自分自身や所属する宗教組織の利益のためだけに行っているのなら、意図的に誰かの霊的成長を遅らせていることになり、大きな負のカルマが伴います。
負のカルマのとは実際何か?まず天国に行った後も、意図的に誤ったことを伝えた人一人一人に謝罪する必要があります。そして何度も地上に戻ってきて、生前の自分と同じようなことをしている人のそばに行き、いかに誤ったことをしていたかを学びます。深い後悔の中、すぐにでも生まれ変わってもう一度やり直したいと思う人もいます。
動機がただひたすら誰かのためという真摯な方はそこまでのことはありませんが、自分が伝えたことと向き合うことになります。その時は決して一人ではありません。今まで助けた人達が、手を差し伸べてくれます。
天国についてのQ&A⑥*霊的知識を伝える責任
Q6:では宗教から離れた立場から霊的なことを伝える人のカルマ的責任は?
A6:当然私のように宗教から離れた立場から霊的なことを伝えている人も一緒です。書籍であれ、動画であれ、SNSであれ、それがどんな手段であっても、霊的なことを伝えるということは、誰かの霊的成長に影響するわけで、大きなカルマ的な責任が伴います。
当ブログの場合、三年目を迎えましたが、前年までの二年間で延べ10万を超える方がおこし下さいました。大変ありがたいことです。
もし私が意図的に霊的知識を偽ったら、大変なことになるのは明白です。カルマという自然法則が働いている上、私の書いている内容は当然、霊界には全部筒抜けです。
ブログを始めた当初より、私の動機も情熱も変わりません。霊的知識は全人類の共有の財産です。私だけのものではないし、特定の組織のものでもありません。
一生の間、無限に吸える酸素が私達の日常を支えているように、霊的知識もまた当たり前のように日常に取り入れられるべきものです。なぜなら誰でも人生の困難に突き当たることがあり、誰もが最愛の人との死別を経験し、誰もがいつかこの世を去るからです。今後も皆様と分かち合いながら、希望を持って進んでいきたいと思います。
今日も希望発見ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
Your spiritual friend,Lani