希望発見ブログLooking for HOPE

心を癒す旅 ~もっと楽しく、もっと気楽に。

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希望発見ブログでは、霊的知識(スピリチュアリズム)を元に、瞑想、心の癒し、死後の世界(天国)の実像についてお伝えしています。
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天国についての疑問をQ&Aで丁寧に解説*【第八回】仏教・お葬式編

  日本では多くの人が仏式で葬儀を行います。私は親族の葬儀の際、お寺側の執拗な金銭への執着を垣間見たことがきっかけで、仏教的な儀式・風習を伝統だから、みんなずっとそうしてきたからという理由で、それまで何一つ疑わずにいたわが身を反省すると同時に、仏教に対する疑念が深まりました。
 近年は直葬・無宗教という形を選ぶ方も増えてきました。いずれにせよ、日本人の葬儀や死後の世界観に大きな影響力を持つ仏教について、霊的・歴史双方の面から少しでも知識を増やしておくことで、家族とよく相談の上、最も納得した見送り方、見送られ方を選ぶことにつながると思います。
 尚、今回の記事は仏教に親しみを感じている方にとって、気分の良い内容ではないと思いますが、仏様の教えを実践されている皆様の寛大な心で受け止めていただければと思います。

天国についてのQ&A①*仏教と死後の世界

Q1:仏教の死後の世界はいつから始まった?

 A1:インドで生まれた仏教は朝鮮半島(百済)を経由し538年に日本へやってきてました。以来、日本の仏教は独自の道を進み、13の宗派ができました。
 日本仏教には素晴らしい教えが含まれる一方で、本来の仏教と一切関係のないことや霊的に全く意味をなさないことが少なからずあります。
 歴史を紐解いていくと、仏教に死後世界の思想できたのは釈迦亡き後です。釈迦は死後の世界どころか霊魂そのものを完全否定していました。しかし、釈迦の弟子や後世の仏教関係者は、仏教を広めるには慈悲なる仏様が人々が最も恐れる死後の世界に「極楽」を保証するべきと考え、教義を作り上げました。
 日本でも中世になって複数のお寺が「極楽へ生きたければ、仏の道に入りなさい。まず土地や財産を寄進しなさい」と言って勢力を拡大したり、本来仏教と全く関係のなかった庶民の葬儀に教団が深くかかわることでお布施を得るようになりました。
 こうして時代の流れとともに、教義が教団の利益に合わせて変化していきます。
 他の宗教と違わず、教団が勢力を得たり利益を得るには、人々の恐怖心を膨らませる必要があり、仏教にも地獄の存在があります。
 仏教を含む全ての宗教が犯した最大の霊的過ちは、天国への切符に条件をつけてしまったことです。神の愛、仏の愛とは自分のことを敬った人やお金を支払った人だけ、優遇するような偏った愛ではありません。人生で過ちを犯した人を突き放すような小さな愛でもありません。
 私達が無宗教でも、神仏は何一つ困りません。死の扉が開いた後、私達は五感を超えた感覚で、仏教的に言えば、大慈悲によって誰もが分け隔てなく大きな愛に包まれます。

天国についてのQ&A②*お経とお葬式の関係 

Q2:お経はお葬式のために書かれたもの?

 A2:日本のお経は中国仏教の聖典がもとになっていて、元々は釈迦の教えを後世の教団の人が想像しながら書いたものです。
 インドから中国にお経が伝わったのは紀元1世紀で、当時中国はすでに優れた歴史と記録文化を持っていました。そして、お経を中国文化に合わせながら、自分たちの言葉に訳しました。その際仏教の原典とは全く関係のないものも創作しました。
 そんなお経が6世紀に日本に伝わって以降、現在まで日本仏教界はお経を日本語に訳すことはしませんでした。仏教が広く伝わっている国で、自国語に訳さなかったのはおそらく日本だけです。それが貴重な教えとわかっていながら、なぜでしょう。
 それゆえ、仏教用語が混じった漢文の意味は多くの人にとって意味不明ですが、実際にはお葬式用に書かれたわけではありません。
 そこに魂を供養する力があるかどうかは信仰心次第であり、僧侶の方が亡くなられた方のために心を込めて祈ること自体は、素晴らしいことだと思います。
 ただお経がなくとも、他界した方が露頭に迷うこともなければ、一切困ることはありません。他界した方の魂を最も慰め癒すのは、地上にいる家族や友人からの愛のこもった祈りの念です。
 天国では言葉ではなく、思念でコミュニケーションをとると第三回の【最愛の人との絆編】お伝えしましたが、この世を旅立った方は、愛する人たちの祈りの念を受け取ることができます。葬儀の際も聞こえています。
 その愛が新たな人生を歩みゆく人の心を幸福感で満たし、愛だけが存在する世界へ優しく後押ししてくれるのです。インド, ヒマラヤ, 風景, 自然, 山, 空, 丘, ヒマラヤ山脈の, 雪

天国についてのQ&A③*戒名と天国の本当の関係

Q3:戒名は死後の世界と関係がある?天国で役に立つ?

A3:日本で一般の人に戒名をつける習慣が始まったのは江戸時代からで、キリシタンの大反乱(島原の乱・1637)の後、キリシタンではないことを証明するために徳川幕府と仏教界が結束して寺請制度を開始しました。
 その結果、全ての人がお寺の過去帳に「戒名」を記入する義務制度を作り、全国に広まりました。それゆえ、戒名は信仰とも死後の世界とも成仏(往生)とも一切関係がないものです
 死後の世界において大切なのは生涯の間で行った愛の行為だけです。思いやりの深さだけが大事なのです。それが個々の霊的レベルを決定し、自分にふさわしい界層へ導かれます。
 とは言っても通常菩提寺の住職が戒名を決定し、それがそのままお寺の収入になるという現実があります。戒名なしにはお寺はお経を読んではくれないでしょうし、長年続いてきた風習でもあり、ないと不安という方も多いと思います。戒名があったほうが安心という方は、そのお気持ちを優先すればよいと思います。
 お寺側の立場に立てば戒名は貴重な収入源だけに、触れられたくないのが本音でしょう。前回の記事で宗教関係者や霊的なことを伝えている人のカルマについてお伝えしましたが、もし動機に不純な点があるなら、それは直接自分のもとに負のカルマとなって確実に戻ってきます。
 私は霊的世界を宗教から離れて長年探求していますが、戒名がないからといって困った人を一人も知りません。でも、霊的知識を意図的に偽り自らの良心を裏切ったため、死後深い後悔にさいなまれている宗教指導者がたくさんいることを知っています。
  大きな視点で見れば、戒名は結局、葬儀に携わる仏教関係者の方々にとって良いことは一つもありません。

天国についてのQ&A④*火葬の霊的意味

Q4:霊的に火葬はどういう意味がある?

A4:葬儀に関連して火葬について霊的意味をお伝えします。火葬は、遺族にとってとてもつらい時間ですが、霊的にはこの世を旅立つ方にとってとても大事なプロセスです。通常、人は死を迎えると、霊体が肉体から解放され、役目を終えた自分の肉体には、一切関心を示しません。
 でも中には、何らかの理由でこの世に未練がある場合など、いつまでも執着する方がいることも事実です。火葬すると、地上での人生を終えた方が、自分の体を含めてこの世との未練を断ち切ることが容易になり、スムーズに天国にいくことを手助けする役割があります。

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天国についてのQ&A⑤*四十九日の真偽 

Q5:人は本当に四十九日で極楽浄土にいけるか決まる?

A5:仏教では宗派によって考え方が異なりますが、人は亡くなると七日ごとに閻魔様の裁きを受け、四十九日をもって極楽浄土へ行けるか最後の判決がでるとされていて、初七日、四十九日の法要は、とても大事とされています。
 こうした法要が、遺族が精神的に次に進むための大事な節目になるとお考えの方もいらっしゃることと思いますが、私はその準備等にかかる精神的、体力的、金銭的負担の方が大きすぎると感じます。
 実際には霊界に閻魔様はどこにもいません。死後、誰からも裁きを受けることもありません。人生で出会った全ての人達の立場になって、一生を振り返る機会を必ず持ちますが、自分以外に自分を裁く人はいません。
 この世を旅立った方にとって本当の成仏とは、地上にのこした愛する人達が悲しみから立ち直り、笑顔を取り戻すことです。自分のためにずっと嘆き悲しむことではなく、楽しかった思い出を大切にして今日という日を力強く前進してくれることです。この世とあの世、暮らす世界が違っても愛する人同士の心は常に繋がっているからです。 

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仏教のゆくすえ *「慈悲」の実践を

 仏教界が葬儀に携わってきた歴史をもっと社会的にプラスに転じられないでしょうか。霊的なことはこれまでの教義から一歩も譲れないとしても、仏教用語にある「慈悲」を実践すべくグリーフカウンセリング的なことに力を入れたらどうでしょう。
 喪失の悲しみは周囲の理解が得られにくく、他界した方との絆の深さによって、悲しみも大きくなります。
 世界の全てが一瞬にして崩れ落ちていくような強烈な恐怖と孤独感の中、多くの死別の悲しみに立ち会う仏教界の方が、遺族にとことん寄り添い、一例として以下のようなことを伝えられたら、社会的にも大きな支えとなります。

①葬儀の間はできるだけみんなで悲しみを分かち合ったほうがいい
②悲しみを早く忘れようとするのではなく、十分に悲しむ時間をとったほうがいい
③誰とも会いたくない感情はとても自然なことで、ひきこもる時間も大切
④楽しむことに罪悪感を感じる必要は全くない
⑤他人がどう思うかではなく、自分自身の心と体を何よりも大切にすること
⑥しっかりしようと思う必要はなく、感情はできるだけ吐き出したほうがいい
(周囲に慰めてくれる人がいたら、遠慮なく受け入れ頼ることが大事)
⑦いつか必ずつらい悲しみが和らいでいく
⑧他界した人は消えてしまったわけではなく、今この瞬間も元気にしていて、愛する人同士は必ずいつか再会することができる

  いかなる宗教にも回帰できる場所が存在します。その場所から人生を眺めた時、誰かのことを心から思いやり、それを実践すること以上に、大切な教義も儀式も場所もないはずです。
 次回はイエス キリスト/キリスト教について宗教から離れた立場で、霊的真理をお伝えする予定です。
今日も最後まで希望発見ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
Your spiritual friend,Lani

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