希望発見ブログLooking for HOPE

心を癒す旅 ~もっと楽しく、もっと気楽に。

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希望発見ブログでは、霊的知識(スピリチュアリズム)を元に、瞑想、心の癒し、死後の世界(天国)の実像についてお伝えしています。
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死後もこの世に留まり続けた鎌倉武士の物語【後編】*侍が語る死後の世界

鎌倉武士の霊を質問攻めにした宮崎大門

 前回の記事では、父を追って加賀を飛び出した武士・泉川将太郎(仮名)が無念の切腹をとげ、その後600年以上が経った江戸末期に、将太郎の霊が庄屋の長男・市次郎の心身を乗っ取り、自らの無念と願望を語りだした経緯をお伝えしました。
 この前代未聞の霊現象に立ち向かったのが、宮司の宮崎大門氏です。宮崎氏は将太郎にいくつもの質問を浴びせます。たとえば「なぜ武士の霊なら父の元へ行かないのですか?」と。将太郎は「父の命令に背いて切腹した私が、おめおめと父の元へ帰れましょうか」と答えます。
 また「何か文字を書いて欲しい」と筆を差し出すと、将太郎は嫌がりながらも、【楽】という一字を見事な古書体で書きました。
 宮崎氏は様々な質問を重ねることで、そこから伝わる教養、人柄、言葉の訛りなどから、本当に鎌倉時代の武士を名乗る霊が真実を語っているか試しているのです。
 将太郎も全ての質問に答えたわけではなく、在世中の加賀の殿様の名は「あまりにもおそれ多い」と言って決して明かしませんでした。彼の精神は死後600年がたっても、武士として主君への忠義を忘れていないことを示しています。
 宮崎氏が様々な質問を重ねながら真実を見極める手法をとり、しかもその様子を全て記録に残したことは、本当に素晴らしく賞賛に値します。彼が記した「幽顕問答」は、人の精神構造や強い想いがいかに死後の世界に影響するか知る上の、貴重な霊的資料でもあるからです。
 次に宮崎氏が正太郎に死後の世界について尋ねたことの中から7つを抜粋し、Q&A形式でお伝えします。なお、今回は【後編】の記事になりますので【前編】をお読みでない方は、こちらからお読み下さい。

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Q&A1~2*死後の世界の移動とお墓

Q1【宮崎】:他界後、故郷の加賀に一度戻ったとおっしゃいましたが、どのような方法で戻ったのですか?
A1【泉川】:地上の人には理解しがたいことです。いずれ他界すればわかることです。百里千里も一瞬の間に行けます。

◎これは他界後、人は霊体を使用するため、会いたい人の姿や行きたい場所をはっきりイメージすることによって、瞬時にその場所へ移動できることを示しています。地球の裏側であろうと一瞬です。 霊の世界では何事も思念の力で即効的に行われます。

Q2【宮崎】:他界した人の霊は皆、お墓に鎮まるのですか?
A2【泉川】:それは私のように無念を抱いた霊もしくは最初から死後はそのお墓に鎮まろうと思っていた霊だけで、ごく稀です。大多数の人々が死後赴くのは霊の世界で、各自に落ち着くべきところがあります。

「各自に落ち着くべきところがある」という言葉が天国の特徴を表しています。死後の世界は無限の世界です。無数の界層(暮らす境涯)があり、自分の霊的成長度に最もふさわしい界層に死後、自動的に導かれます。

Q&A3~4*同質の人達が集まる天国

Q3【宮崎】:あなたによって不運な亡くなり方をした当家の祖父などは、今霊界のどこにいるのですか?
A3【泉川】:彼らは同質の人が集まって、霊界のどこかの界層にいます。どこかは私の知らぬことです。

◎将太郎は市次郎の祖父にも市次郎にしたことと同様のことを試みましたが、祖父は亡くなりました。
 霊の世界には霊の法則があり、将太郎は自分の願望を遂げるために、人を悩ませたり命まで奪った責任をいつか必ず償うことになります。命を奪われた祖父には埋め合わせがあります。
 死後の世界では私達の地上人生のあらゆる行為や出来事にも、償い埋め合わせがあります。

Q4【宮崎】:他界後、人は皆一緒に集まり、ずっと同じ形態のままですか?それとも時と共に変化するのですか?
A4【泉川】:他界すると、同質の人に限って一か所に集まりますが、ずっと同じところにいるわけではありません。人の形態は、少し変わることもあります。また中には生まれ変わる人もいます。地上人生で善意に生き、誠実に心を尽くしながら報われなかった人は、他界後、徳高い魂となります。中には他界後に新たに功を立てて高みに登る霊もいます。

同質の人が一か所に集まるという言葉がとても大切です。天国はまさに類は友を呼ぶ世界で、霊的親和力にとって似た精神性を持つ人達が同じ界層に集まります。
 人は他界後、徐々に不要な欲を削ぎ落としつつ霊的知識を学び精神が純化していくと、より高い界層に進みます。それに伴い各自の霊体も精妙化して高い波長を発し、輝かしい光輝を発するようになります。

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Q&A5~7*仏教の死後の世界について

Q5【宮崎】:儒教や仏教の死後の世界の言説は、どれが正しいのですか?
A5【泉川】:儒教も仏教も、その道に帰依する人達が言っているに過ぎません。

◎インドで生まれた釈迦仏教には、死後の世界についての知識はありませんでした。その後中国に渡り「戒名」が生まれ、道教の影響を受け人は亡くなると7日ごとに極楽浄土にいけるか裁判を受け、最後の判決が49日後に行われるという「四十九日」の思想が生まれました。
 日本にはそんな中国仏教が伝来し、以来日本仏教は多くの宗派にわかれ独自の道を歩んできました。

Q6【宮崎】:では仏教の極楽浄土説についてはいかが思われますか?

A6【泉川】:(将太郎は苦笑して首を横に振り)それは人の心を落ち着かせるための方便にすぎません。実際の死後の世界とは大きく異なります。

◎多くの人は宗教的な死後の世界について聞いたことがあっても、実際に他界するとその知識はすぐに過ちだと気づきます。将太郎の言葉にあるように、実際の死後の世界とは大きく異なるためです。
 しかし宗教的教義を頑なに信じ込んでいると、どれだけ周囲が教義の過ちを気づかせようと声をかけても、聞く耳を持たず同じ信仰を持つ人達が集まり、宗教という幻想の中で延々と生きようとします。魂が教義に束縛され、自由な成長を阻害されてしまうのです。
 宗教的教義への強い信仰心が、霊的成長の足枷になってしまう危険性があることは、いくつもの霊界通信で繰り返し強く警告されています。
 大事なのは何を信じて生きるかではなく、どう生きるかー自分にも周囲の人にも優しい心を持ち、それをできるだけ日常生活の中で実践することです。

Q7【宮崎】:お経は極楽を説くものではないのですか?地上の人間からの供養は他界した人に届きますか?
A7【泉川】:お経は「空」を説くもので毒にも薬にもなりません。その人のこと想いを誠心誠意祈れば、おのずと伝わります。

 ◎お経は元々お葬式用に書かれたものではありません。インドから中国に仏教が伝来した際、お経を中国語に訳すプロセスの中で、当時の中国の人々にあうように内容を意図的に変更したり、本来の仏教とは全く関係のない偽経が創作されました。
 日本に伝わったのはこうしたお経であり、以来ずっと漢文のまま、日本語に訳されることなく使用されているため、意味がわかりにくくなっています。
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将太郎の恩返し*無念が感謝へ

 数々の問答の末、宮崎氏は石碑を建て将太郎を神霊として祭り、毎年彼の命日の7月4日に一家近隣の人々が集まって祈念すると約束しました。将太郎はその言葉に「ありがたき幸せ」と深く感謝し、「私の願望は成就し、これ以上嬉しいことはありません。もう何も心残りはありません」と言って、以後当家を守っていくことを固く約束します。
 宮崎氏は最後に霊遷しの儀式を行いました。ようやく永年の願いが叶うことに感無量となった将太郎は、市次郎の体を通して涙がとめどなく流れます。儀式の後、将太郎の霊が市次郎の体から抜け出ました。
 その後、市次郎は体調が中々回復しないので眠っていたところ、突然「市次郎、起きよ」という声がしました。市次郎が目を開けると、そこには20歳ぐらい色白の若い武士がいました。周囲に医師が数人にいましたが、皆眠っていました。
 市次郎が起きあがると、武士は市次郎の背後にまわり乱れた市次郎の髪をかき上げ、頭から肩先、腰と順に撫でていきました。市次郎はあまりの心地よさについウトウトしてしまうほどでした。
 武士は最後に「長い間、あなたを悩ましてしまい大変気の毒なことをしたが、これで全快します」と言って煙のように消えていきました。翌朝、市次郎の体調は武士の言った通り、すっかり良くなっていました。武士とはもちろん将太郎です。
 この霊現象のメカニズムですが、彼はその場にいた医師たちから少しずつエネルギーを採取した上で、霊的な物質と化合させエクトプラズムという半物質を生成しました。そしてエクトプラズムを身にまとうことで物質化して市次郎の前に現れ、霊的な治療を行ったのです。
 将太郎だけでは物質化することも霊的治療も行えないため、背後に専門の霊団がいたと考えられます。エクトプラズムという用語自体は、この一件から11年後にフランス・パリで生まれ、のちにノーベル賞を受賞した生理学者シャルル リシェ氏が名付けたものですが、霊がエクトプラズムを使用して現れると、地上の人間の肉眼にその姿がはっきり見えます。
 市次郎の目には、生身の人間と全く変わらない姿で将太郎が見えたはずです。なお、エクトプラズムは自由自在に形を変更でき、霊が地上で物を動かしたり音を鳴らす時も使用されます。
 その後、将太郎は当家を守護するという約束を守り、その庄屋一家は家族も増え平和に暮らしました。
 宮崎大門氏の 「幽顕問答」を現地調査した近藤千雄氏によると、石碑には宮崎氏が将太郎のために書いた「高峰大神」というおくり名と、命日の「七月四日」、年号等が刻まれていました。
 また石碑の周りは綺麗に掃除されていて、地元の方によって150年もの間、毎年供養祭が開かれ大切にされていることがわかりました。
 父を愛する若き俊才武士、泉川将太郎は、きっと天国で両親と再会し、お互いに分かり合う機会を持ち、何よりも望んだ父の深い愛に包まれたことでしょう。 
 今日も最後まで希望発見ブログをお読みいただき、本当にありがとうございました。
Your spiritual friend,Lani

参考文献:古武士霊は語る、人生は霊的巡礼の旅、シルバーバーチの霊訓、これが心霊の世界だ、コナン ドイルの心霊学(以上全て潮文社)、お坊さんが困る仏教の話(新潮社)、平田篤胤・霊魂のゆくえ(講談社)

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