あなたがた人間は、永遠なる生命の旅路の途中で、今ほんのいっときを地上で過ごしている霊的な旅人です。
シルバーバーチ
若き鎌倉武士が引き起こした前代未聞の霊現象
江戸末期、600年以上前に無念の切腹を遂げた鎌倉武士の霊が、筑前(福岡県)にある庄屋(酒造家)の長男・市次郎の体を弱らせた上で心身をのっとり、自らの無念と願望を語りだすという珍しい霊現象が起こりました。
人は他界すると、すぐに霊の世界(天国)で新たな人生を始めますが、地上社会に強い執着心がある場合などに、死後もこの世に留まり、地上の人々に悪影響を与えることがあります。
悪影響とは霊が自分の中毒的な欲望を満たすために、地上にいる自分と同質の人に近づき、思念を送って犯罪行為やギャンブル、お酒、麻薬などをするようそそのかすことが大半ですが、霊が地上の人の心身をのっとりコントロールするのは極めて稀です。それには霊が人間の潜在意識を利用せねばならず、大変な準備と困難が伴うためです。
こうした出来事は、背後にある霊的メカニズムを理解しておけば、怪談や怪奇現象としてむやみに恐怖心を募らせることもありません。
この稀有な霊現象に助けを求められ対応した宮司・宮崎大門氏は、一連の出来事を「幽顕問答」として書き残しました。
その後約150年の時を経て、シルバーバーチの霊訓など高度な霊界通信の翻訳者で知られる近藤千雄氏が、福岡県立図書館に郷土資料として保管されていた「幽顕問答」の原本を確認の上、自ら霊現象が起きた場所を訪れ綿密に調査し、「古武士霊は語る(潮文社)」として詳しく発表されました。この話は‟A Samurai Speaks”として英国にも伝わりました。
今回の記事【前編】では、鎌倉武士の霊と宮崎氏の会話を現代語に変えてお伝えし、供養や祈り、また人間の個性と死後の世界の関係について理解を深めてまります。
なお、武士の名前は本人が世間への公表を望まなかったため、記事内では仮名を使用していますが内容は全て実話です。
愛する父を追った武士の無念
鎌倉時代の初期、加賀(石川県)に泉川将太郎という頭脳明晰で将来を嘱望された武士がいました。しかし彼が16歳のころ、泉川家が加賀で発生した争乱に巻き込まれてしまい、父親が主君から国外追放処分となりました。
父は「私は濡れ衣が渇くまでは帰れないが、泉川家を再興させて欲しい」と長男の将太郎に厳命し、伝家の宝刀である太刀を授け出国します。しかし父を心から慕う将太郎は、母の必死の制止を振り切って太刀と金貨11枚を携え、父を追って家を飛び出しました。
それから6年後、将太郎はついに芸州(広島県)で父を見つけ再会します。ところが父は、命令に背いた将太郎を「今すぐ加賀に帰れ!一歩たりともついてきてはならない!」と厳しく叱責した上で、「どうか聞いて欲しい。子を愛さない父親はいない。しかしお前が私のあとを追うのは、真の親孝行ではない」と言って一人で船出してしまいます。
父の脳裏には将太郎が加賀に帰らないと、泉川家は「断絶」という武士にとって屈辱極まりない事態が待ち受けていることが明白でした。
あきらめきれない将太郎はそれから3か月後、九州小倉で再度父を発見し、「お願いですから随行させて下さい」と言葉を尽くして懇願しますが、父は無言のうちに肥前(佐賀県)の唐津へ行ってしまいました。
それでも父を愛する将太郎は何とかあとを追い続けたものの、次第に心身共に疲労困憊し、筑前(福岡県)の地で無念のうちに切腹し22年間の地上人生を終えました。7月4日の出来事でした。
人は自分で自分の命を絶ち、肉体の機能を完全に停止させても、霊体として生前の個性を携えたまま生き続けます。泉川将太郎も死後、生き続けました。しかし多くのトラブルを引き起こしました。
そのトラブルの原因は、将太郎の死後数百年が経ち、無念の死を遂げた場所に酒造を生業とする一軒の庄屋が建てられたことが発端でした。
将太郎はそのことが非常に不愉快で仕方なかったのです。 彼は庄屋の住人の注意を引き、せめて石碑を立ててもらおうと考えます。
未曾有の困難に立ち向かった宮司・宮崎大門
江戸末期、1839年(天保10年)の7月4日、筑前(福岡県)にある村の庄屋の若旦那・市次郎が、突然高熱にかかり震えがとまらなくなりました。
実はその庄屋ではここ数百年の間、毎年7月4日になると家人が突然病気になったり亡くなる事象が発生していたので、気味悪がった市次郎の父が元々建っていた家屋を取り壊し、そこに「普門庵」と名付けた観音堂を建てました。市次郎が急な病に倒れたのは、普門庵をお参りした時でした。
彼は何人もの医師に診てもらいましたが熱は一向に下がらず痩せる一方で、様々な加持祈祷も全く効かず2か月後には危篤状態になりました。
緊迫した事態に陥ったことを察知した家族は、宮崎大門(おおかど・1805~1861)という近郷で高名な宮司に神道流の加持祈祷を依頼します。宮崎大門は江戸で国学者・平田篤胤(あつたね・1776~1843)の元で学び博識多才と称された人物です。
なお、宮崎大門の師・平田篤胤は、前世の記憶を持つ少年・勝五郎から詳細を聞き取り「勝五郎再生記聞」として書籍化したり、臨死体験をした人々からその体験談を詳しく聞き取るなど、霊的知識の収集と普及に情熱を燃やした人物です。
宮崎氏が庄屋を訪れた時には、複数の医師や家族、近所の人を含む30名以上の人が集まり、「キツネにとりつかれたのではないか」と口々にささやきながら市次郎を不安そうに見守っていました。
宮崎氏は霊が地上の人間に悪さをする事象を中国や日本の古文書から学んでいたため、直感的に何が起こったのか理解していました。彼は早速大刀を手に神道流の祈祷を始めると、危篤状態のはずの市次郎が突然むくっと起き上がって凛とした態度で正座しました。そして一礼して口を開き「私はキツネではございませぬ。もとは加賀の武士にてわけ合って無念のことがあり切腹した者の霊です。今まで当家を祟ったのは、一筋の願望があってのことです」と話しだしたのです。
宮崎氏は落ち着いた口調で「なぜ長い間当家を祟ったのですか?どんな無念があったのですか?」と尋ねると、市次郎に宿った将太郎の霊は「父が出船した後、一人取り残された私は思いを巡らせましたが、致し仕方なく切腹しました。以来数百年間、ただただ無念の月日を送りました。私の遺骸がそのまま土中に埋められ、人知れず朽ちていったのです・・・」と目に涙をためて悔恨極まる口調で話し、次いで全てのいきさつを話しだしたのでした。
そして当家を祟ったのは住人の注意を引き、自分を祀って欲しかったのだと訴え「七月四日の日付を記した石碑を建てていただきたいのです。それだけして下さればすぐに当家を立ち去ります」と答えました。
形式だけ供養は無意味・愛の祈りを
この事態に立ち向かった宮崎氏は、ただ単に将太郎の想いを真摯に聞いてあげるだけでなく、毅然とした態度を忘れず、もう二度と人を悩ますことはしないようきつく言い渡した上で証文を書かせました。
将太郎は用意された筆をとり【この度宮崎大門氏は、御剣をもって私が立ち退くよう苦心して下さいました。加持祈祷していただき幸せこの上なく、この家に限らずもう人を悩ますようなことはきっと慎みます】としたためました。
この文章は、市次郎の身体をコントロールしている鎌倉武士・将太郎の霊が書いたため、文体は市次郎や当時の人が書くことはできない古書体でした。
まためぐり合わせとは不思議なもので、宮崎氏が祈祷時に使用した太刀は、将太郎が父から譲り受け、切腹時に使用したものでした。将太郎は宮崎氏に「死後もずっと行方を捜し続けたほど大切にしていた刀ですが、あなたの家で大切にして下されば結構です」と言っています。
一方死の間際まで追いやられた市次郎はのちに意識が回復した後、自分の心身を一方的にのっとった将太郎に「墓を暴いて恥をかかせてやる!」と憤慨しましたが、無理もありません。責任は将太郎にありますが、こうした事態が引き起こされるのは人間側がそのような状態を作り出してしまうことにも大きな要因があります。
カルマが起因していたり、精神状態が極端に疲弊していたり、ネガティブな思想や何らかの依存症・強欲が原因となり、本来自分を守ってくれるはずのオーラの働きが著しく弱くなると、悪意のある霊の影響を受けやすくなります。私達人間が、そうした霊に付け入るスキを与えないことが大切です。
霊界側からも地上圏に残る霊の救済活動は日々行われていますが、私達が日常的に楽観的な思考・言動を意識したり、瞑想したり、自然の中に身を置くなど心身の健康に気を配ることが、オーラの強化と自分を守ることにもつながります。
またどのような亡くなり方をした人に対しても、形式だけの儀式的な供養をするのではなく、死後の実在をしっかり認識した上で、心を込めて愛の念を送るよう明確な意識を持って祈ることがとても大切です。
死後の世界は思念の世界であり、心に思ったことがはっきりとした形となって届きます。地上の人々からの愛のこもった祈りは、邪悪性を持つ魂でさえ改心させる強力な力があります。将太郎も死後誰かに真摯に祈ってもらえていたら、このような事態にはならなかったことでしょう。
この後、将太郎はいったん市次郎の体を離れたあと、わけあってもう一度戻り、のべ約22時間に及ぶ宮崎氏との問答が繰り広げられました。途中、将太郎は父との別れを思い出し、何度も涙を流しました。彼にとっては600年以上ずっと時が止まったままなのです。
次回【後編】は宮崎氏が泉川将太郎から聞きだした死後の世界の実像と、今回の霊的事象の結末をお伝えします。
今日も最後まで希望発見ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
Your spiritual friend,Lani
参考文献:古武士霊は語る、人生は霊的巡礼の旅、シルバーバーチの霊訓、これが心霊の世界だ(以上全て潮文社)、平田篤胤・霊魂のゆくえ(講談社)