アメリカ先住民を呼ぶ呼称はいくつかありますが、今回の記事では1977年に国際インディアン条約会議にて全会一致で支持された「アメリカインディアン」という呼称を用い、彼らが代々受け継いできた霊的教訓をお伝えします。
尚、アメリカインディアンといっても何百もの部族があります。今回お伝えする教訓は「動物記」で知られ、アメリカにおける自然保護活動の先駆者でもあるアーネスト シートン(1860-1946)が「最高のアメリカインディアンの最高の教え」をモットーにナバホ族やスー族など九つの部族の教えを調査し、集約したものです。
アメリカインディアンの不屈の魂
霊能者や霊的世界に目覚めた人の背後には、かつてアメリカインディアンとして地上人生を送った霊が人生を見守り、導いていることが多くあります。以前当ブログでご紹介したイギリス人霊能者エステル ロバーツにはレッド クラウドという霊的ガイド(spirit guide)がいて、同様にグレイス クックにはホワイトイーグル、エセル ポストパリッシュにはシルバーベル、モーリス バーバネルにはシルバーバーチ(高級霊とバーバネルの中継者)がいました。
アメリカインディアンはキリスト教や仏教のような人工的な教義にのっとった宗教を信仰せず、部族の中に霊覚者がいて、霊界側からメッセージを受け取ることで確かな霊的知識を代々受け継ぎ、人生の道しるべとしてきました。
生活の中で、彼らはお互いを助け合うことを何よりも大切にしました。特に病に苦しむ人、苦境にいる人、子供達は部族全体で手厚く保護しました。彼らの人生の成功の基準は「どれだけ仲間に対して役立つことをしてあげられたか」なのです。
平和に心豊かな生活を送っていたアメリカインディアンでしたが、コロンブスによる大陸発見後、西洋人により多くの部族が度々大虐殺に合い、領地を奪われ、キリスト教に改宗を迫られるなど過酷な歴史に虐げられてきました。
しかしいかなる武力や弾圧もアメリカインディアンの霊的な本質を止めることはできませんでした。豊かな霊性を携えた彼らは、死後霊界側にて地上社会への霊的知識普及の使命を帯び、一人でも多く人が霊的に覚醒し成長できるよう導いているのです。次に、彼らが大切にしていた6つの霊的教訓をお伝えします。
アメリカインディアンの人生訓①②
①感謝:死への恐怖、これがあなたの心に住みこまないような生き方を心掛けなさい。今日も食べ物があり、生きる喜びを感じることができることに感謝しなさい。もしも何も感謝するものがないように思える時は、自分のどこかに間違ったところがあるものと思い、反省しなさい。
◎人生に逆風を感じている時に、感謝することは簡単ではありません。でも何かに感謝することが誰にでもあるはずで、つらい時こそ感謝の気持ちを意識的に持つことが、あなた自身から高い思念の波長を発することになり、笑顔になれるような出来事を次々と人生に引き寄せます。
②不滅の魂:この世を去った後どこにいくのかは誰にもわかりません。しかしいよいよ死期が訪れたら、これから次の生活の場へ進んでいくのだということを知っておくべきです。恐怖心を抱いたりやり残したことを後悔してはいけません。与えられた限りの才能と制約の中で最善を尽くしたという自覚、そして死後の世界での境遇は地上での所業によって決まるという認識を持って腹をくくることです。
◎天国には無数の界層(境涯)があり、死後の世界でたどりつくところは、各自の霊的成長度によって異なります。霊性の高さ(慈愛の深さ)に比例して、環境が大変美しくなります。心優しい人達が暮らすところに、邪悪な心を持った人は絶対に入り込めません。天国では霊的に向上するにつれて、それまでの界層をあとにしてより高い界層へと進みます。
アメリカインディアンの人生訓③④
③思いやり:自分の影響力の及ぶ範囲の人々に対してはいつも慈悲深い気持ちを忘れてはなりません。無力の人を目の前にして血も涙もない態度を取る人間は臆病者です。弱き者、病める者、老いた者の世話をすることこそ、上に立つ者の努めです。
④敬意:全ての人に敬意を抱きなさい。しかし、いかなる者にも卑屈にへり下ってはいけません。与えられるよりも与えることの方が名誉なことです。
◎霊的存在である私達の魂は「神性=神の性質」を帯びています。だからこそ自分をつまらない存在だなどと思ってはならず、誰に対しても卑屈になる必要はありません。また霊的存在であるからこそ、私達は無限の可能性を秘めています。限界を作らず自分をとことん信じることで、その可能性を最大限に引き出せます。
アメリカインディアンの人生訓⑤⑥
⑤神とは:神とは永遠の存在であり、形体を持たず、全知にして全能であり、言語で描写することのできない存在です。あらゆるものが神の中に存在し、神を通して活動します。我々の崇拝心と忠誠心は、その神に向けなければなりません。恵みは全て神より下されます。ゆえに敬虔なる気持ちで神を志向しなければなりません。神は本質的には非人格的存在です。
⑥罪:罪とは神の霊的法則を犯すことです。罪はそれ自らが罰をもたらします。他人の身代わりになって罪を背負うことは、誰にもできません。罪を犯した人がそれを他人に転嫁して無実になることも断じてありません。そのように自分の犯した罪を逃れようとする考えは邪悪です。
◎人が神を想う時、人間の姿に似せて想像しがちです。しかしアメリカインディアンの言葉は、霊的な真実を表しています。彼らが崇めている神(the Great Spirit)は、人間的属性をそなえた存在ではなく、全宇宙に愛として無限に顕現する存在です。それは全生命に活力を与える霊力であり、永遠不変の霊的法則として全生命体に常に働きかけています。
霊的法則とは自分の行動が生み出した結果が、自動的に自分に返ってくるというものです。愛に基づく行為は自らの霊的成長となり、悪意に基づく行為は霊的後退(償い)となります。霊的法則は地上にいても天国にいても全ての人の人生に適応されていて、人生は完璧にバランスがとられるようになっています。
人生の究極の目的を達成するために
「神」「罪」という言葉が出てきましたが、西洋人によるアメリカインディアン迫害は信仰の域にも及びました。子供たちは寄宿学校に全員強制入学させられ、各部族の言語使用は禁止の上、英語で聖書の暗記と祈祷を強制させられました。しかし肝心の聖書は史上有名な325年のニケーア会議にて、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝によって多くの改ざん・教義の創作が行われています。
ニケーア会議の採決の際、そんなことをするべきではない!と1800名の司教のうち1500名が反対しましたが、激怒したコンスタンティヌス帝がローマ兵を呼び入れて反対派を全員外に連れ出させ、残りの賛成派300名だけで再度採決し、満場一致でイエスを神とするキリスト教が生まれました。
政略のためなら妻子さえも殺めるコンスタンティヌスにとって、神の子イエスを信じれば死後全ての罪をイエスが背負ってくれて、罪は帳消しとなって天国へ召されるという教義は、満足のゆくものでした。
霊的無知の権力者と聖職者が結びついた結果、霊的法則の存在がかき消されて社会に正義が行き届かなくなり、西洋社会は永きに渡り十字軍や魔女狩りで知られるキリスト教による弾圧と暴虐の暗黒時代に突入し、アメリカインディアンもその犠牲となります。
このことに霊界側で最も心を痛め涙したのは一方的に神の座にまつりあげられたイエスだと、シルバーバーチの霊訓などの英国の三大霊訓は伝えています。イエスは目的において神と一つでしたが、決して神ではありません。彼は地上に降りてこられる魂の中でも最高レベルの偉大な霊でした。
彼は当時の民衆が陥っていた物質中心の生き方の間違いを説き、霊的知識を求める生活へ立ち戻らせ、アメリカインディアンが重要視していたのと全く同じ霊的法則の存在を教えました。人を救うのは特定の宗教への信仰ではなく日常生活の中の自分の言動にしかないと説き、自ら率先して慈愛の言動を実践した模範的な人です。
現在、ロシア政府がウクライナで行っていることに世界中の人々が心を痛めています。勝手な動機で残酷な行為をする人は「神(霊的法則)への反逆」を行っていることに気づいていません。彼らにとって最大の敵は自分自身なのです。
‟反逆者”には死後も安らぎなど訪れず、暗闇と絶望感が支配する見るも無残な境涯に必然的に導かれます。そこで人生で犯した大きな過ちを思い知らされるような体験もします。霊的法則から逃れたりごまかせる人は誰もいません。以上のことからも、霊的知識は個人においても社会においても、平和をもたらすとても大切な鍵です。
霊的法則を熟知したイエスやアメリカインディアンが日常生活で実践したように、私達人間にとって永続性のある唯一の富は心の豊かさ、優しさです。周囲の人、自然、動物、自分を取り巻くすべてに善意で接するよう心がければ、それだけ霊的に成長し、死後も大変美しい境涯へ導かれ心は幸福感に満ちあふれます。霊的成長こそ、地上人生の究極の目的です。
次回はコロンブスをはじめ、実際にアメリカインディアンと携わった人達が、彼らの生き方をどう感じたのか【エピソード編】をお伝えする予定です。
今日も最後まで希望発見ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
Your spiritual friend,Lani
参考文献:レッドマンのこころ、インペレーターの霊訓、ベールの彼方の生活、シルバーバーチの霊訓、これが心霊の世界だ、私は心霊を見た、コナン ドイルの心霊学(以上全て潮文社)、シルバーバーチに最敬礼(コスモス ライブラリー)、イエス キリスト失われた物語(ハート出版)