希望発見ブログLooking for HOPE

心を癒す旅 ~もっと楽しく、もっと気楽に。

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希望発見ブログでは、霊的知識(スピリチュアリズム)を元に、瞑想、心の癒し、死後の世界(天国)の実像についてお伝えしています。
(いかなる宗教とも一切関係ありません)◎皆様の受け入れられる範囲でお読み下さい。

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この心癒えるまで【3】死別の悲しみを乗り越えて*また逢える、必ず逢える

死別の悲しみを乗り越えるプロセスが終わるまでに、一か月で終わる人もいれば、何年もかかる人もいます。でも、どうかしっかりと心にとどめておいて下さい。悲しみにはいつか終わりが来て、必ず元気になる日がきます。 
バーバラ サンダース(最愛の息子を亡くし、30年以上死別の悲しみを研究してきた臨床心理学者)

悲しみを癒す道*死の瞬間と直後に起きていること

 私の人生で、初めて大切な人のを経験したのは、祖父が他界した時でした。幼い頃からいつも優しく、何があっても味方でいてくれた祖父のことが、私は大好きでした。
 祖父は睡眠中に、安らかにこの世を旅立ちました。しかしそれは全く予期せぬ出来事であり、遠方に暮らしていた私は突然の知らせに、全身の震えが止まりませんでした。
 葬儀の際、冷たくなった祖父の遺体に触れた時、祖父の温かい心がもうそこにはないことを実感し、涙がとめどなく頬を伝いました。同時に、感謝の気持ちがどっとあふれてきて、何度も「ありがとう」を伝えました。
 当時は霊的知識を全く持ち合わせておらず、祖父の死に戸惑うばかりでしたが、今となって理解できることがたくさんあります。たとえば祖父は「ありがとう」という私の言葉を、そばで聞いていた可能性も十分にあります。幼い頃に母親を亡くした祖父は、この時すでに再会を果たし、一緒にいたことでしょう。
 死の瞬間、肉体と霊体を結びつけていた生命の紐・シルバーコードがプツンと切れ、主に三層(メンタル体、アストラル体、エーテル体)で構成される霊体のうち、エーテル体を人は脱ぎ捨てます。この時、痛みや不快感は一切ありません。
 その後、霊体の目が開きます。目に映るのは、先に他界した愛する人の笑顔であり、耳に届くのは、再会を祝福する歓喜の声です。
 霊体は、決してふわふわとぼんやりしたものではなく、今使用している身体以上に実体感があり、抱きしめ合えばお互いの温もりを感じられます。
 ここで大事になってくるのが、死後の目覚めの時期で、これは一人一人の霊的成長度によって異なります。精神に全く霊的なことを受け入れる余地のない人や、宗教的な誤った死後の世界観を頑なに信じ切っている人は、霊的な波長に感応せず、意識が眠ったままになります。地上人生で霊的資質を磨くことがなかったがために、死後の世界に全く順応できずにいるのです。
 その場合、天国にある地上の病院に相当する施設に導かれ、霊界側の医師や看護師の看護を受けます。いつ霊的に覚醒し、目覚めるかは本人次第で、ごく稀に地上の時間で何百年も目覚めず、半ば強制的に地上へ生まれ変わる人もいます。
 死後の世界の存在を当たり前のように認識していた人や、死後、家族や友人に真摯に祈ってもらえた人、元々霊性の高い心優しい人は霊的な波長に感応しやすいため、死後の目覚めが早く、死後すぐに周囲の人の声や思念を受け取ります。思念の受け取り方は、天国から迎えに来てくれた家族や友人、霊的ガイドから教えてもらいます。死後の世界に足を踏み入れた時、最初に待ち受けているのは、人の笑顔優しさなのです。
 私は霊的知識を学んで以降、死に対する考え方が一変し、死を単なる不幸とか悲劇としてとらえなくなりました。もし愛する人が向かう死後の世界が、地上よりも劣悪な環境でより苦しみを伴い、それが永遠の別れを意味するのなら、死は不幸であり絶望ですが、実際は、他界した人はもう健康問題、経済問題、犯罪、不公平など一切存在しない、圧倒的な環境美と安らぎに満ちた世界に向かいます。
 それを自分の死に置き換えれば、もし私がこの世を旅立ったら、家族など親しい人には、死には不幸や悲劇とは全く異なる側面があることを理解した上で、私が地上人生を卒業したことを、決して悲しむことなく、祝福して欲しいと思っています。
 死別が意味するのは、一時的な身体上の別れであり、霊的には絆がより深くなっていきます。愛には永遠に魂と魂を結びつける力があり、いつか必ず再会し、共に暮らせる日がやってきます。家族同然に愛したペットにも同じことが言えます。100パーセント、必ず再会できます。
 

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夢で逢えたら*亡き祖父との再会

 大切な人を亡くしたあと、その人が今も生きていると確信を得るような霊的な体験をしている人は、決して少なくありません。なかなか広まらないのは、変な人と思われること憚って、誰も積極的に語ろうとはしないからです。
 私たちは皆、地上人生を送る間も霊体を携えているがゆえに、霊能力まではいかずともそれに近い直感力を備えているので、他界した人の姿を視たり、声を聞いたり、そばにいることが感覚的にわかったり、匂いがしたり、寝起きにぬくもりを感じたりと多様な霊的体験をすることがあります。
 また他界した人のことを考えていたら、二人だけの思い出の曲が偶然ラジオから流れたり、広告などでその人の誕生日や記念日などと関連する数字を不思議と何度も目にしたりなど、自分だけにしかわからない偶然の一致(シンクロニシティ)を体験することもあります。霊の世界に身を置いた人は思念を送ったり霊力を駆使したりして、人智を超えた現象を完璧なタイミングで引き起こすことができるのです。
 それほど、一生を終えた人は、「私はもう苦しくもないし痛くもない。とても元気にしているし、安全な場所にいる。だから、どうか元気を出してほしい。また必ず逢えるから」ということを何とか地上の愛する人に知らせようとします。
 ですから、私たちが少しでも霊的知識を身に着けることが、天国にいる方の深い心の安らぎにつながります。
 地上世界と天国、双方が異なる次元の世界に暮らしているので、コミュニケーションは簡単ではありませんが、お互いの再会を最も確実にする場所が睡眠中の夢です。 
 私も祖父と夢で再会しました。非常に明晰な夢で、祖父は私を温かく抱きしめてくれました。それがとても現実的で、祖父の温もりを生前そのままに感じました。目を覚ました時は、たとえようもない充足感に満たされていました。
 同じような経験をされた方もいらっしゃると思いますが、それはただの夢ではなく、本当に出会っているのです。
 私たち人間は、例外なく毎晩睡眠中に霊体で天国を旅します。(動物は睡眠中に天国を訪れることはありません)睡眠中は肉体と霊体をつなぐシルバーコードが緩み、意識が肉体から離れ霊体に移ります。そして、霊の世界を探求したり、最愛の人と過ごしたり、いつか訪れる死後の世界の環境に備えたりしています。霊の世界での体験は潜在意識に蓄積され、死後、それらの記憶が通常意識の中で蘇ると共に、「ここは今まで何度も来たことがある場所だ」と天国の風景に親しみを感じ深い安堵を覚えます。
 残念ながら、高次元の霊の世界の体験を、人間の脳は全てを記憶することはできません。容量オーバーとなり、記憶が歪んだり断片的にしか覚えていないことがほとんどです。もしくは全く覚えていないこともあります。夢が全て霊的なものとは限りませんが、もし、愛情や充足感を感じるような夢による霊的体験をしたら、それがただの夢でないことを知っておいて下さい。
 また、日常的に瞑想して霊的な波長に合わせる(全身を脱力して深呼吸を繰り返し、心を静める)訓練をしたり、起床時に夢日記をつけると、夢の記憶力があがっていきます。

天国でも愛のみが、人を引き寄せ合う

 人間の魂そのものには、年齢がありません。年齢とは、地上人生に限ったものです。この世に暮らしている間は、加齢により身体は変化していきますが、天国には時間が存在せず、霊体が加齢によって変化することはありません。ただ、個々の霊的(精神的)成長に伴い、霊体は光輝を増し精妙化していきます。
 他界した子供の場合も、地上の年月の経過に合わせて容姿が変化していくわけではなく、地上のことを学んだり、霊的世界のことを学んでいく中で霊的に成長していき、その習熟度にあわせて容姿も成長してきます。
 子どもたちも、天国で自分が好きなことをします。野球が大好きだった少年が他界した場合、天国でも野球をします。好きなことは何でもできます。
 中にはトプシーといって、しばらく子供の姿のままにとどまって、その純粋な霊性を保持したまま、霊界の住人と地上世界の住人のパイプ役になって、自分を役立てようとするケースもあります。これはその霊にとって大いなる自己犠牲で、高く進化した高級霊に多く見られ、使命を終えると元の高い界層に戻っていきます。
 高齢でこの世を旅立った人は皆、容姿がだいたい20代から30代になります。思念の力で、自分が最も生き生きとしていた頃の年齢の姿に一瞬にして戻ることができます。
 祖父は私の夢に、他界した当時の高齢の姿で現れました。なぜなら若い頃の姿だと、私が祖父だと認識できないためです。長年連れ添った夫婦の場合などは、若い頃の姿でも誰だか認識できるので、天国でのそのままの姿で夢に現れることもあります。
 なお、長年連れ添った夫婦だからといって、皆が天国で再会するとは限りません。愛の通わない夫婦の場合、つまりお互いが二度と一緒にいたくないと思っていたら、死後暮らす世界は別々です。お互いの魂を引き寄せる霊的親和力が全くないからです。天国には、形式だけの愛は存在しません。真の愛があればこそ、死の瞬間も必ず迎えにきてくれます。
 自分には天国の住人で、心の通った人がいないという方でも、一人寂しくこの世を旅立つ人はいません。必ず誰かが死の瞬間を事前に察知し、例外なく迎えにきます。一生の間、見守り導いてくれる霊的ガイドがいますし、アフィニティ(類魂、グループソウル)といって、血縁以上に近い関係の霊的家族が全ての人にいます。
 アフィニティの関係にある人と、家族や恋人、友人として、もし地上人生で出会うことがあれば、お互いが強く魅かれ合い、愛し合う素晴らしい関係になりますが、必ずしも出会うとは限りません。
 同じ時代に生まれながら、全く別の国で暮らしていることもあります。お互いに大きく異なる人生体験をしながらも、一生を終えた後、同じアフィニティに属する人同士が意識を統合させて人生経験を共有し合い、それらを自分の人生経験のように吸収し、お互いの霊的成長のために学びあうことができます。
 霊の世界を垣間見れば、人間が完全に孤独になることはありえません。人は天国でも常にお互いを思いやり、助け合い、愛し合っているのです。

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天国は、すぐそばにある

 人生で、大切な人の死ほどつらいものはないと、経験した人は感じます。他界した人との絆が強ければ強いほど、悲しみは深くなり、この悲しみには凄まじい喪失感や無力感、疲労感、空虚感、罪悪感、孤立感、怒り、不安など、非常に多くの感情が入り乱れます。そのどの感情も人として正常であり、癒しのプロセスの一部です。
 しかし誰かとその感情を分かち合いたくとも、共にいた年数、お互いの関係、死を迎えた状況などは異なり、全く同じ経験をしたことがある人は誰一人おらず、つらい感情をためがちです。
 忍耐を美徳とするような風潮のある日本社会では、「強くふるまうこと」を優先させてしまうあまり、悲しみがもたらす苦痛を長引かせることもあります。 悲しい時には、とことん泣いて涙を流すことも大切です。泣くこと自体が、人間が生まれつき備えている心を癒す大事な機能です。
  天国へ旅立った人にとって、もっともつらいことは、地上の愛する人が自分のことでずっと嘆き悲しんでいることです。なぜなら自分自身は今この瞬間もとても元気で、やりたいことは何でもできる世界で、人生を満喫しているからです。
 しかも、その人たちは私たちのすぐそばにいます。この「そば」の考え方が、地上世界と天国では異なります。以前、世界的霊能者・ジェームズ ヴァン プラグ氏の交霊の様子を聴いていたら、こんなやり取りがありました。
 相談者の女性が他界した父親と会話を重ねた後、最後にプラグ氏が「お父さんは、いつもそばで見守っているとおっしゃっていますよ」と伝えると、女性は「いくら父でも、ずっとそばにいたら嫌です!」と語気を強めました。プラグ氏は苦笑して「必要な時は、すぐそばに来るという意味です」と言葉をつなぎました。
 天国は無数の界層(暮らす境涯)があり、それは宇宙の遠いところでも、雲の上にあるわけでもありません。地上から遠く離れたところにあるのではなく、地球を含めた各界層が一体となって一つの天国を構成しています。
 次元(エネルギーレベル)の異なる界層が、重なり合って同じ場所に存在しながら、より高い界層が低い界層を包括しつつ、無限に高く重なり合っているのです。
 プラグ氏はある時、「天国はどこにありますか?」と聞かれ、「両手を真っすぐ前に伸ばしてみて下さい。そこにあります」と明確な答えを示していました。他界された方にとって、距離は全く問題になりません。どこへでも思念で一瞬で移動できる上、地上の愛する人とは、特別な霊的回線で常につながり、その人が発する思念を受け取っているので、人生で何が起きているのか把握しています。そして、援助が必要な時は自身の霊体のエネルギーレベルを落としてすぐにかけつけることができ、自分がいる界層からでも影響力を行使することができます。
 距離は全く関係ないため、天国にいる人からすれば、「いつもすぐそばにいる」という感覚なのです。他界した人に同じ生活空間内で、常時監視されているかのようなイメージを持つのは間違いです。嫌がるようなことは決してしません。
   彼らは愛をずっと持ち続け、いつか再会できる日まで、地上の愛する人が人生を自分らしく生き、寿命を全うすることを何よりも望んでいます。
 だから、どれだけ悲しくても、意図的にあとを追ってはいけません。まだ地上との霊的絆がありながら、無理やり旅立つと天国にいる最愛の人との再会に大きな障壁が生まれます。
 今私たちがこの世に生きている理由、それはまだやるべきこと、学ぶべきことがあるからです。その全てが終わった時、死と呼ばれる地上人生の卒業がやってきます。あくまでもそれは自然現象で、その瞬間を決して恐れる必要はありません。
 今日という一日、今という一瞬一瞬を大切に生きること、自分の全てを無条件に愛し、周囲の人、動物、自然に可能な限り善意で接すること。私たちに人間に求められているのは、それだけです。
今日も最後まで希望発見ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
Your spiritual friend,Lani

参考文献:シルバーバーチの霊訓(潮文社)、ベールの彼方の生活(潮文社)、こころが安らぐ本(大和書房)、こころが満たされる本(大和書房)、私はできる!(サンマーク出版)、すべてうまくいく(角川書店)、スピリチュアルパワーに目覚める10の秘密(PHP)、人生をもっと幸せに生きるために(河出書房新社)、パワーオブ・ザ・ソウル(JMAアソシエイツ)、死別の悲しみを癒すアドバイスブック(筑摩書房)、ワイス博士のストレス・ヒーリング(PHP)

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