人生の真の目的は霊的成長、この一語につきます。その視点からみれば、物的財産が増えたことで偉くなった気分になる人は、とても浅はかで価値観が明らかに間違っています。悟りを開いた人は同じく財産と呼べるものでも、一旦身に着けたら二度と失うことのない永遠の財産、すなわち霊的知識を求めます。モーリス バーバネル
人と自分の人生を比べることは、全く意味がない
私はなぜ、この宇宙に浮かぶ小さな星で生きているんだろう。一体、私とは何なのか?いつか確実に死がやってくる人生にはどんな意味があって、死後の世界は本当にあるのだろうか。あるとしたら、そこはこの世界とどう違って、何をして過ごすのだろう。私が愛した人、私を愛してくれた人とは死後も本当に会えるのだろうか?家族同然に愛したペットはどうなるんだろう?
こうした疑問にできるだけ詳しく答えるべく、霊の世界で最も高い霊的進化を遂げた人たちから地上世界の人々のために計画的に伝えられた霊的知識を、実際の交霊の様子や霊的体験談等を交えながら、当ブログではお伝えしています。
私たちは、この世に偶然ランダムに生まれ、ただ食べて飲んで寝て死んでいくだけの空虚な存在ではありません。宇宙に存在する幾億もの星々を動かし、世界中の全ての花々を毎日咲かせているのと同じ神秘の霊的法則と霊的エネルギーの元、一人一人が極めて神聖な目的と使命を持って必然的に生まれてきています。
この世に誕生前、あなたは故郷の天国の無数にある界層のうち、自身の霊的成長レベルに適合したどこかの界層で暮らしていました。そこで無活動の怠惰な日常を送っていた人は、一人もいません。またそこは、単に夢幻のようなぼんやりとした世界でもなく、人はより高い霊的成長を求め、非常に活発な愛に基づく生命活動を行っていました。
その活動内容は多岐にわたり、自分の好きな分野や興味あることへの知識の研鑽をしつつ誰かに教える側に立つ人もいれば、自分より下の界層に暮らす人や新たに他界してきた人の力になるべく霊団に属し組織の一員として支援活動をする人もいます。また、幼くして他界した子供たちが暮らす界層や飼い主よりも先に他界した動物たちが暮らす界層で、愛情いっぱいに世話をする人たちもいます。
どんな立場であれ、誰かのために自分を役立たせることを最高の徳として、人は積極的に行動します。「死」とか「死後の世界」というと恐怖を募らせる方が多いのですが、現実的には死のあとに待ち受けるのは、お互いが常に助け合い、支え合う至高の愛の世界なのです。怖がる必要は全くありません。
また、そこでは自分の心を各自が真摯に見つめることが最重要視されるので、他者への批判的な精神は取り除かれ、地上世界のSNSに象徴されるような誹謗中傷が飛び交うこともありません。
霊の世界では暮らす界層に関係なく、霊的成長こそ人が本能的に、また永続的に最も求めることです。霊的成長とは意識の中の利己性や軟弱性、強欲を克服して愛を言動に移し、できるだけ高みを目指すことです。神の分霊である私たち人間は、己に打ち克つことで魂の中の不純物を取り除いていき、進化の階段を一歩一歩のぼりながら究極の神という最高レベルのエネルギー体に近づくよう意図されているのです。
このように、霊的成長を目指して暮らしていた私たちですが、天国での生活だけではおのずと成長に限界があります。もっと成長を目指すには、学校に通って基礎的な経験を積み、心を鍛錬し視野を広げないといけません。地上世界でも社会に出る前に義務教育の場があるように、魂がより高い洗練された界層で暮らすためには、天国にいては経験できない学校が必要です。その霊的な義務教育を施す学校の一つが地球です。
地球への”入学”が決まると、霊的ガイドのアドバイスの元、両親を選びおよそ地球学校で何年すごし、どの時点でどのような出来事に遭遇しそこから何を学ぶか、どのような形で他界するかというような詳細を含めてカリキュラムを組みます。一人一人に異なる克服すべき課題、全うすべき使命、学ぶべき教訓があるのです。そのため、人と自分の人生を比べることは全く意味がありません。
なお、自ら命を絶つことをこのカリキュラムに組むことは決してありません。それは社会に出る前に義務教育を自ら放棄してしまうことを意味し、その分自分自身に多くの負担がかかってしまうためです。だから、どんなつらいことがあったとしても、希望を失ってはいけません。
霊の世界には、今この瞬間も霊的成長を切実に求め、様々な界層から地球への入学を希望する人が大勢います。私たちもかつてはその中の一人でした。それだけ地球は霊的な義務教育の場としてとても貴重な学校で、ありがたくもこの世で学ぶ機会を得た人たちは、この学校の環境を大切にし、天国での生活のようにお互いに助け合い、励まし合い、高め合いながら生きていくことが生徒として求められます。

生命の本質は霊的なもの*物質をこえたところに真実がある
霊的存在の私たちはこの世に誕生前、霊体で生きていました。しかし地球という物質世界で意識を顕現して生きていくには、物質的な身体とつながる必要があります。そこで、母親が受精した瞬間に霊体が霊的物質でできたシルバーコードと呼ばれる発光性のあるへその緒のようなひもで、これから使用することになる肉体とつながりを持ちます。
それから霊体は一生の間、肉体に霊的エネルギーを供給し続け、いつか死が訪れると同時にシルバコードが切断されその供給も終わり、肉体は全く動かなくなります。この霊的メカニズムは何も人間に限ったことではなく、全ての生命体に当てはまります。いかなる物質もそれ自体では生命活動を行うことはできません。
宇宙のあらゆる生命体や天体が動くことができるのは、そこに霊的エネルギーが絶えず供給されているからに他なりません。生命の本質は物質ではなく、霊的なものなのです。これはとても重要な霊的知識で、例えば世界的に優秀な科学者が地球内にとどまらず宇宙を探査して生命の起源等を追い求めていますが、どれだけ時間をかけて懸命に物質の中に生命の神秘を見出そうとしても、視点が誤っているため永遠にみつかりません。
科学を信奉する方の中には、死後も物的な考えを超えた意識レベルにたどりつけず、天国の生活に順応できるまでそれこそ天文学的な時の流れを要する人がいます。霊の世界ではこれを知的牢獄と呼んでいます。
以前ウィリアム ステッドの「死後の世界は精神が最大の権威を持つ」という言葉をご紹介しましたが、霊的な視点から物事をどうしても見ることができない人は、自分で自分の心に障壁をつくり、援助の手さえ拒絶してしまいます。心に柔軟性を持つことや霊的視点から人生を見つめることがどれほど大事かということです。
私たちの本質もまた物質的な人間ではなく、霊的存在なのです。人生の目的と本当の成功の基準も愛に基づく言動によってのみ得られる霊的成長であり、社会的地位や物的財産、名声とは無縁です。物的財産は学校での所持品にすぎず、永遠の財産ではないことを心に留めておく必要があります。
仮に人生で大きな社会的影響力や有り余るほどの財産を手に入れたら、それらをどんな動機で誰のために使うか、ということが問われます。多くを持つ人ほど、また社会的に高いとされる地位の人ほど、行為における霊的な責任も重くなります。
欲しい物をすべて買えることが幸せ、高価な物に囲まれて暮らすことが幸せと思うのは幻想で、霊性が向上するにつれて、幸せに生きていくには、人間それほど多くの物も高価な物も必要ないと思えるようになります。

「全てを捨てなさい」*手放してこそ得られる本当の自由
古代から人間の過度な欲望や執着心が、その人だけでなく社会そのものに争いや悲劇を生み出すことは、世の必定でした。高級霊のインスピレーションを言葉にして伝えたイエスや釈迦は、そんな物質第一主義の世の中にくさびを打ち込む崇高な使命を帯びた人でもありました。しかし皮肉なことに、霊的観点から地上世界で最も執着してはならないものに宗教があげられます。「全てを捨てなさい。あらゆる煩悩を捨てるのです。」釈迦の言葉です。彼は非常に心優しい人格を持つ反面、「現世利益をほのめかす呪術は一切使ってはならない。僧侶が葬儀に関わることも固く禁ずる」と弟子に諭すなど解脱を目指すその教えはわずかな妥協を許さないほど徹底していました。
しかし彼の死後数世紀が経った頃「いや、捨てろと言われても困る」と言った人たちが現れました。当時インドやペルシャで交易によって莫大な利益を得ていた大富豪たちです。すでに多くを所有している人にとって、その富を誰かのために分け合うこと、つまり捨てることなどありえないことで、「私が築いた地位や財産こそ私の価値であり、私の全てだ。これら全てを携えて即身のまま成仏できないものか」と考えました。
そこで釈迦の原始仏教とはかけ離れた、古代インドの土着宗教から発想を得た密教が誕生し、高度な釈迦の人格には及ばぬ菩薩という概念が生まれました。現在でも密教系の仏像である観音像は、ネックレスやイヤリング、ブレスレットで装飾されています。
密教は中国に渡り、釈迦が禁じた呪術性と現世利益が特徴の道教に取り入れられ、その後中国の国家仏教として確立されたものが日本に伝わりました。金色の仏具が日本に初めて届いた時、「ご利益がある」と使者は言いました。ご利益、救済思想、偶像崇拝、中国の人々のために書き換えられた漢文のお経に、霊的に事実無根の戒名など、中国風の仏教は歴史的に日本人の死生観を支配してきました。
このように地上世界の宗教は、高級霊からのインスピレーションが各地域由来の古い宗教に寄せて体系化されたり、当時を生きる人々に都合よく神学的解釈がなされものが正統派教義として代々受け継がれ、多くの宗派を生み出しながら今日まで続いてきました。
キリスト教と銘打ちながら肝心のイエスの教えを裏切り、仏教と名乗りながら釈迦を裏切る霊的真実とはかけ離れた教えの数々を、霊の世界では非常に重く見ています。その対象は愛の念から真摯に活動している宗教者一個人ではなく、教義に過ちがあると本当は知りながら自分の生活や組織の維持を優先させて、活動している人たちとその組織です。なぜなら、伝統的教義から外れることを恐れる世界中の多くの人々が宗教に執着するあまり、地上人生だけでなく死後の世界でも誤った教義で固められた心の障壁に囲まれて、暗闇で生きねばならない無残なまでの現実があるためです。
精神が最大の権威を持つ死後の世界において、特定の宗教観を深く信じ込んだ人の精神状態は魂の病気と言われ、他界後その呪縛から解かれるまで、最も大変な思いをします。高級霊シルバーバーチはこう語ります。
いかなる教義も魂を束縛します。人間は教義を守るから立派になるのではありません。人間は教義の名のもとに戦争をしかけ、異教徒を殺害してきました。魂を束縛するもの、精神の手かせ足かせとなるもの、霊性の発現を妨げるものは、いかなるものであっても取り除かねばなりません。
霊的成長に、教義も儀式も作法も不要です。いかなる宗教的書物も指導者も権威も絶対と思ってはいけません。聖遺物を信仰の対象としてはいけません。神の摂理=霊的法則にしたがうことだけを心掛ければいいのです。それがこの宇宙で最も大切なことだからです。物質の世界の彼方にあるものに目を向けて下さい。
宗教的建造物には、過去の無知の時代の産物に過ぎないものがたくさんあります。神はいかなる建造物の中にも閉じこめられません。豪華絢爛な建造物を建てたところで、神は喜びません。そんなことよりも、喪失の悲しみにある人を慰め、病の人を癒し、暗闇の中にいる人に優しくし、人生に疲れた人に意欲をもたせ、無知の中で生きている人に知識を授けることのほうがずっと価値があります。
霊的存在であるあなたも、神の一部です。自分より恵まれない人のために力を貸そうとする時、神の力があなたという人を通して地上世界に顕現するのです。どの分野でも結構です。転んだ人の手をとってあげること、勇気づけの言葉をかけてあげること、極貧の人を救うこと、不正や横暴と闘うことなど、人の重荷を軽くしてあげることを考えて生きることが、神の摂理にそった生き方です。
既存宗教に籍を置く人は、いずれこれまでに犯した過ちの全てに責任を取らねばならない時がやってきます。霊的法則を逃れる方法はありません。神の目はごまかせないのです。特に心の奥では教義に過ちがあると気づいている人は、責任も大きくなります。霊の世界では、特定の教義を擁護しても何にもなりません。大切なのはただ一つ、どれだけあなたの内部の神性=愛を人生で発揮できたかです。

地球は義務教育の学校*助けた人が助けられる
イエスは「私がしたように、あなたたちもお互いに愛し合いなさい」と言いました。霊の世界のことを熟知していた彼は、死後の世界で愛に満ちた界層に行くには、愛に生きるしかないという、とてもシンプルで誰でも実践できる方法を教えました。
地球は義務教育を施す学校なのですから、人生の教えもシンプルであって当然です。イエスはかつてこの学校に在籍した超優等生でした。理性的に考えれば、先輩を崇めたり神と受け入れたところで、学校でおかした過ちが帳消しになるわけでも救われるわけでもないことぐらいは誰でもわかります。大事なのはイエスに限らず尊敬する先輩がいるのなら、その先輩の徳に満ちた行動を、後輩が見習い実践することなのです。
この世を学校と認識できれば、人生でやっていいことと駄目なことの区別は容易です。同じ国に暮らす人はあなたのクラスメートであり、外国で暮らす全ての人は、同じ学校に通う生徒です。学校でいじめや差別、盗難、暴力をしてはいけないことは皆知っています。
また、自分だけ美味しいものを食べて、級友に食べ物がないことも、あってはならないことです。家庭の事情で必需品さえ手に入らない子がいるというのに、高価な所持品を自慢げに見せびらかしているのは、愚かで恥ずべき行為です。
反対に、本来持つべきものがない人に、自分が持っている物を分け与えたり、勉強についてこれない人や体調の悪い人に優しく声をかけて助けてあげることは、褒めたたえられるべき素晴らしいことです。
もし学校で思うような結果が出ず人生を絶望している人がいたら、大人の目で見てみれば、そんなに深刻にならなくていいよ、落ち込む必要は全くないよ、と温かく声をかけてあげられます。学校での失敗や挫折のようなうまくいかない経験こそが、思いやりの心を育み視野を広げ、未来の素晴らしい財産になると知っているからです。
この地球学校での生活は、死によって卒業がやってきます。その時、あなたは自分の成績表を受け取ります。成績表をつけたのは、あなたの先祖でも両親でも霊的ガイドでもありません。あなた自身です。あなたは、あなたの中にある神の目で厳正に成績をつけます。
その成績表には、学歴や社会的地位、預金額や著名度、または信仰の有無に関する項目はどこにもありません。同じ学校に通う人たちにどうふるまっていたのか、そこだけが問われます。
あなたが心で正しいと知っていること、つまり良心を裏切らずに級友に優しくできたのなら、あなたの成績はA+です。中には過去の行動に後ろめたい気持ちを持つ方もいるかもしれません。でも、地球が学校である以上、失敗から学びより良い生徒になろうとする人には、常にチャンスがあります。行為の過ちは行為によってのみ取り返すことができます。
これからの人生で、元気がない級友に、困っている級友に、悲しみの中にいる級友に、真心から優しさを届けることです。級友が笑顔を取り戻した時、「助けてあげた」などと思う必要はありません。ただその機会を得られたことに心から感謝しましょう。その級友は、実はあなたを助けるために、あなたの人生に導かれているのです。
今日も最後まで希望発見ブログをお読みいただき、本当にありがとうございました。
Your soulmate friend,Lani
参考文献:シルバーバーチの霊訓(潮文社)、ベールの彼方の生活(潮文社)、インぺレーターの霊訓(潮文社)、これが心霊の世界だ(本文中交霊の様子を引用・潮文社)、こころが安らぐ本(大和書房)、こころが満たされる本(大和書房)、私はできる!(サンマーク出版)、すべてうまくいく(角川書店)、人生をもっと幸せに生きるために(河出書房新書)、パワーオブ・ザ・ソウル(JMAアソシエイツ)、コナン ドイルの心霊学(潮文社)、これが死後の世界だ(潮文社)、霊力を呼ぶ本(潮文社)、生きがいのメッセージ(徳間書店)、司馬遼太郎が考えたこと(新潮文庫)