人生の秘訣は、今を大切に生きるということです。霊的知識を人生の全基盤とし、明日のことを思い煩うことなく自信を持って生きて下さい。決して悲観的になってはいけません。心配は、無知と迷信の産物です。明日という一日を、素敵な冒険と可能性をもたらしてくれるものとして、力強く迎えるのです。 シルバーバーチ
冬のあとには春がくるように、死のあとには生がある
希望発見ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。当ブログでは、多くの方が目を背けがちな死と死後の世界を徹底的に直視し、あらゆる宗教から離れた立場から霊的知識をお伝えしています。
先日、祖母が危篤との知らせがありました。私の祖母は戦前から戦後の激動の時代を堅忍した超高齢世代で、最近の容態から覚悟はしていましたが、子供の頃からたくさんの愛を与えてくれた人だけに、たとえようのない寂しさが込み上げてきました。
私たちは皆、いつかこの世を旅立つ宿命にある以上、人生のどこかの地点で自分自身や大切な人の身に死が迫るという、避けがたい衝撃的な現実に直面することがあります。
そんな時、人はわらにもすがる思いで回復を祈りますが、それが叶わなかった時、ただ死を恐れ絶望感を抱くのではなく、できることや知っておくべきことがあります。今回からそんな時に見送る側、旅立つ側双方にとって心の支えとなるような霊的知識をお伝えしていきます。
人間にとって、死の直後に新たな人生が始まることは、四季の移り変わりのように自然の摂理です。四季は地球の自転軸が傾斜したまま、太陽の周りを公転することで発生しますが、そこに人間の思想や信仰が入り込む余地はありません。
同様に、死後の生命活動もまた、人間の思想や信仰に一切関係なく全ての人にやってきます。勝手に自分の意思でやめることはできず、信仰の有無のような条件つきで天国行きが決められるわけではありません。
全ての人にとって、地上人生の終着点は新たな人生のスタート地点でもあるからこそ、霊的知識が死後も前途を明るく照らし続ける松明となり、あなたの心強い味方になります。
多くの人は普段、死後の世界について考えることをおよそ歓迎せず、仮に考えるとしたら、どうしても考えざるを得ないような状況になった時だけです。でも、ここで強調しておきたいことは、死後の世界について真剣に考えるその一分一秒は、決して無駄にはならないということです。
人間はこの世にいる間、霊体が肉体とシルバーコード(霊的物質でできた発光性のある生命のひも)でつながっているため、霊的な能力が制限され肉体的な五感に頼らざるを得ず、この宇宙に幾多に存在する壮麗な霊的生命世界のうち、感識できるのは極小の物質的な地上世界にほぼ限られています。そして、不完全な理解力で、目に見えるものだけが現実だと思い込んでしまいがちです。
しかし、死後の世界は個々の精神を基調とした世界で、一人一人の霊的世界への理解と自覚が順応性に直結します。そのため、皆様のように死後の世界に意識を向けている人は、霊的なことに関して精神に柔軟性があるので、他界後、霊的な自覚が芽生えるのが早く新たな環境に順応することは極めて容易です。反対に霊的なことに心を閉ざしている人ほど、それまでの人生観が完全に否定されることになり、一から霊的教育を受けざるを得ず、霊の世界の環境に馴染むまでに大変な時を要します。(子供は例外で順応性が高い)
日本から一歩出れば、海の向こうの国々には異なる言語や文化、社会ルールがあるように、死の境界線を一歩こえると、地上世界とは全く異なる生活習慣や価値観、法が支配する霊的世界が待ち受けています。
その世界は、一言で表すなら思念の世界です。心に思うことが実体を伴い、お互いのコミュニケーションも言語ではなく以心伝心で思念を送ったり受け取る方法に変わります。だからこそ、あなた自身やあなたの愛する人が、もし死に直面したとしても、何一つ憂うことなく死後の世界へ旅立てるようにできる最善の手段があります。それが、祈りです。

天国からのお迎え*祈りが最大の援助になる
自分自身だけでなく、愛する人が深刻な病気やケガで苦しむ姿を見ることは、本当につらいことです。そのつらさの反動として、普段祈りとは無縁の人でも、きっと誰もが回復を信じて、魂が霊的世界とのつながりと援助を真摯に求め、祈ります。
祈りとは、意識を集中させて思念の力を増幅させ、やむにやまれぬ切望を高次元の霊の世界へ届ける神聖な霊的活動です。祈ることによって思念の波長を最高度に高め、祈りの波長に感応した霊の世界の住人が、地上世界への愛と奉仕の願望から、祈りの実現に向けて動き出します。
ただ、中には叶わない祈りもあります。その一つが、霊的に予め定められた(この世の誕生前に自ら決定した)寿命の場合です。寿命は、霊的法則という霊的世界の絶対的な法の範囲内で決められます。霊的法則は誰にも変更する力はないので、祈りによって寿命が伸びることはありません。
もし回復が見込めずまさに今大切な人が他界するという状況になった時はなおのこと、祈ることがとても重要で、祈りがその人の死のプロセス(地上人生の終焉と霊の世界での誕生)に対し大変大きな援助になります。
私自身、祖母がまもなくこの世を旅立つことを知り、一旦心を静め、祖母が安らかに天国へ旅立てるよう、また天国へ旅立った際はすぐに霊の世界の暮らしに順応できるよう祖母を援助して下さいと祈りを捧げました。
通常、天寿を全うした人には、必ず霊的に絆のある人(霊的家族=アフィニティ)や地上人生で愛ある関係だった人が、事前に死の瞬間を察知して例外なくお迎えにきます。死の24時間以上前から、先に他界した両親がそばで見守っている、というようなことはよくあることです。
私の祖母は、連絡があってから数日後、安らかに息を引き取りました。亡くなる10時間ほど前のことです。ベッドで目を閉じていた祖母は「あっ、おじいさんが迎えにきた」と突然言葉を発しました。おじいさん、とは20年以上前に他界した私の祖父です。祖父は長年連れ添った妻の死を察知し、天国から迎えに来たのです。
祖母は、決して幻覚を見ていたわけではありません。死の直前は肉体の力が弱まるにつれて霊体の能力が強くなるので、祖母のように霊体の視力(霊視力・クレヤボイヤンス)で、霊界側から迎えに来た人の姿がみえることあるのです。中には天国の大変美しい色鮮やかな風景をみて感嘆の声をあげる人もいます。
この世でも誕生したばかりの赤ちゃんは一人では生きていけず、両親などからたくさんのサポートを必要とするように、人は死後の世界に足を踏み入れた後も、周囲からのサポートがあってこそ、地上世界とは全く異なる社会に順応していけるようになります。
誰かの死に際して祈ることは、今まさに他界する人が心安らかに旅立てるよう、また死後目覚めた後、心から安心して不安なく新たな人生を歩めるよう、祈りのない時に比べてさらに多くの援助を呼び寄せ、サポート体制をより万全にすることにつながります。一人一人の霊的成長度及び他界した状況に応じた専門知識を持つ人や医師、霊団を呼び寄せたり、他界者のための専門の受け入れ施設に誘導されることもあります。
死はある日突然やってくることもあり、死の前に祈りの時間を持てないこともあります。その場合も、他界後に祈りの時間を持つことが非常に大きな意味を持ち、地上から送られる愛の念こそが、他界した人の心を隅々まで癒し、精神の霊的覚醒を促し、新たな人生をスタートするための大きな力になります。大切な人が目の前からいなくなることは、とてもつらいことですが、ずっと嘆き悲しみ続けるよりも静かな祈りの時間を持って愛の念を送ることで、私たちは地上にいながら、天国へ旅立った最愛の人をずっと援助し続けられるのです。

涙と笑顔*地上と天国で異なる死の実像
祖母の他界後、祈りながら祖母のことを想っていると、突然堰を切ったように涙がどっとあふれてきました。しかし、祖母はそのころ霊体にて目を覚まし、先に他界した両親や親類、たくさんの友人・知人にお迎えを受け、大きな歓喜の輪の真っただ中にいたことでしょう。それが、地上世界と霊の世界での死後に起こる霊的真実です。
愛する人が他界したことに地上の人が涙を流している時、霊の世界では天寿を全うしてきた人を祝福と共にお迎えし、再会に嬉し涙を流しています。(自ら命を絶った場合は異なる)。死は地上の人から見れば悲劇的な側面ばかりに意識が向けられますが、霊的視点から見れば全く異なる側面(故郷への完全な帰還と再会、あらゆる労苦からの解放)があるのです。
なお、死の瞬間から霊体にて目を覚ますプロセスを、私たちは普段の睡眠中に疑似体験をしています。睡眠中は肉体が休んでいる間に、意識が霊体にうつり、霊の世界で活動をしていて、いつか暮らすことになる霊的環境に予め慣れることが、最たる目的です。死後、徐々に睡眠中に培った記憶が蘇ってきて、そこが初めて来たところでないことを知ります。
睡眠の場合は、起きるべき時間になると意識が霊体から肉体に戻りますが、死の場合は、意識が霊体に移ったあとそのまま霊体にとどまります。その点が異なるだけです。
死は毎晩の眠りに落ちるような感覚だと思えば、何も怖れることはありません(自殺を除く)。
さらに霊体は病気やケガ、障害は完治し、祖母のように高齢で旅立った人も自分の好きな年齢の時の容姿に思念で変えられ若返ります。高齢で旅立つ方は、認知機能や視力、聴力が衰えている方もいらっしゃいますが、それらの能力も全て完璧に戻ります。もう眼鏡や補聴器は不要です。
死の直前まで身体に慢性的な痛みや不快感があった人は、お迎えに来た人に「完全に治ったと思い込むことが大切だよ」と教えられます。死後もどこかが痛いと思い込んでいると、それが現実となってしまうためです。霊体=完全健康体とだけ覚えておけば大丈夫です。
祈りについて少し補足すると、家族同然に愛したペットが他界する場合も、祈りがとても大切です。人間に愛された動物は、個性がそのまま存続し死後も生き続けます。(愛されなかった動物は死後各種の類魂に魂が吸収され、個性を完全に失う)
動物は人間と異なり、睡眠中に霊の世界を訪れて事前に霊的世界での生活の準備ができません。世話をする専門知識を持った人がいますが、地上から愛を送ることの効果は動物だって同じです。動物は死後も飼い主の元に何回も連れてきてもらいますが、自分のことで飼い主が泣いていると、なぜ泣いてるのか理解できず戸惑います。人間同士と同じで、愛でつながった人間と動物は必ずまた再会し、共に暮らすことができます。
飼い主がそうした霊的知識を理解し、元気に地上人生を生きてくれることを、動物だって望んでいるのです。
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僧侶なし、お経なし、戒名なしでも大丈夫*変わりゆく葬儀のかたち
大切な人が旅立った際には、その人をどうお見送りするかということを、人は現実的に考え決断する必要があります。死は予期せぬ形で突然やってくることがあるので、大変大きなショック状態の中、様々な決断を迫られることもあります。
そんな時、旅立つ人にとって地上にいる私たちができることの中で最も大切なのは、祈りによって愛の念を言葉にして伝えることであるという霊的知識を思い出せば、精神的な混乱の中でも決断に必要な冷静さを失うことはありません。
日本では多くの人が伝統的に仏式で葬儀をあげてきましたが、近年、葬儀の規模や方法が数十年前とは様変わりしていて、通夜なしで家族葬にしたり、仏式をやめたり、葬儀さえやめて直葬(火葬のみ)を選ぶ人も増えています。
霊的視点からみれば、人間の霊性は時代とともに総じて向上していくものなので、これまで代々受け継がれてきた宗教的な慣習や儀式、教義に対し理性的に考えて疑問や不信感を持つ方も少なからずいるのでしょう。
記事の冒頭でも少し触れましたが、自然の摂理である死と生の生命のサイクルは、地上に宗教が存在する遥か古代から繰り返されてきたことで、死後の世界はいかなる宗教とも一切関係のないところです。仏教に関しても、本来死後の世界とは全く無関係の宗教です。
よほど強烈な信仰心でも持たない限り、多くの人はたとえ信仰心があったとしても、死後の世界で、その信仰心は跡形もなく消え去ります。
逆に高級霊シルバーバーチが「一旦宗教の罠にかかってしまうと、正しい霊的知識がその迷信の厚い壁を突き抜けるまでに長い長い年月を要する」と繰り返し警告するように、間違った教義・信条を強く信じたがために、死後の世界でも宗教の奴隷状態から抜け出せず、低い界層にとどったまま、何世紀も暗闇の中での生活を強いられる人が多くいます。
信仰心があつい状態で他界してきた人は、霊界側からすると魂が教義に束縛され霊的成長がしばらく望めないため、霊的にとても未熟な人として扱われます。どれほど魂本来の霊性が高くとも、霊的教育を幼児教育的なところから始めないといけなくなり、思念の世界である霊の世界に身を置きながら、存在もしない宗教世界を信じ込んでいることで、霊的成長が完全に止まってしまうからです。
なお、葬儀会社の方のお話だと、近年は家族葬でもほとんど(四分の三)の人が、僧侶を呼ばないとのことです。葬儀会社や地域によってはこの数字は大きく異なるかもしれません。
また葬儀の形の変化は、これだけ物価高に苦しむ方が増えている中で、家族葬でも数十万円かかり、そこに火葬代やお寺(読経・戒名等)への費用がかかることから、費用的な懸念も無縁ではないはずです。(詳しい費用は直接葬儀会社等にお問合せ下さい)
祖母の場合も家族葬ですが、僧侶は呼ばず、近親者のみでお別れ会のような形でお見送りをしました。僧侶がいなければ、当然お経も戒名もありません。だからといって、他界する人に何か問題が起こることは、霊的に一切ありません。
香典も辞退し喪主の挨拶も省いて、およそ1時間ほどの間、皆で湯灌を手伝い、感謝の気持ちを祖母に伝えたり思い出を語ったりと、参列者と祖母との時間を最優先にしました。
参列者にとって身体的な負担も少なく、とてもいい葬儀だった、自分の時もこの形がいいと皆口をそろえるほど、素晴らしい時間になりました。
祖母は元々霊的な世界に心を開き、かつ心優しい人なので、死後の目覚めも早く葬儀の場にすでにいて、参列者の気持ち(思念)を直接受け取っていたことと思います。思念の受け取り方は、お迎えに来た人から教えてもらいます。もちろん、霊体になっても参列者が発した言葉はちゃんと聞こえています。
家族・親族といっても、中には離れなばれに暮らし様々な事情もあって、葬儀等に参加できないケースも一昔前に比べて増えているかもしれません。そのような場合も、自分なりに数分でもいいので、祈りの時間を持つことで、そばにる時と同じように思いは他界した人に瞬時に届きます。霊の世界へ旅立った人にとって、距離は何の問題にもなりません。たとえ地球の裏側からでも祈りの念はすぐに届きます。
人は皆、異なる死生観をもっていて、そこに家族や地域の伝統やしきたり、信仰心までが入り込み、親族間でも葬儀に関する考え方は全く異なることがあります。
伝統的な、宗教関係者を介する葬儀のほうが安心で、気持ちの整理がつくという方はそうすればよく、反対にできるだけ簡素にお金をかけず、という方もいらっしゃることでしょう。いずれの場合も命とは大原則として霊的属性であり、最も大事なのは、祈りを通じて感謝や愛の念を自分なりの言葉で、心の中でも声に出してでもいいのでしっかり伝えることだということを心に留めておいて頂ければと思います。
次回以降の記事でも、死の前後に関係する霊的知識をお伝えいたします。
今日も最後まで希望発見ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
Your soulmate friend,Lani
参考文献:シルバーバーチの霊訓(潮文社・交霊の様子を引用)、ベールの彼方の生活(潮文社)、インぺレーターの霊訓(潮文社)、これが心霊の世界だ(潮文社)、こころが安らぐ本(大和書房)、こころが満たされる本(大和書房)、私はできる!(サンマーク出版)、すべてうまくいく(角川書店)、人生をもっと幸せに生きるために(河出書房新書)、パワーオブ・ザ・ソウル(JMAアソシエイツ)、コナン ドイルの心霊学(潮文社)、これが死後の世界だ(潮文社)、霊力を呼ぶ本(潮文社)、生きがいのメッセージ(徳間書店)