- 父親に見捨てられ、孤児院で過ごした悲しい子供時代
- 許し難い人を完全に許す
- ウエイン ダイアー氏の死後、迎えに来てくれた人は・・・
- ウエイン ダイアー氏の教え
- 読みやすい著書を一冊ご紹介
- 人生は最後まで学びの連続
父親に見捨てられ、孤児院で過ごした悲しい子供時代
20世紀初頭から全米一の自動車産業地として知られるミシガン州デトロイトに、その少年は生まれました。1940年5月10日のことでした。少年には父と母、2人の兄がいました。
少年の家庭では、アルコールの匂いが充満し、耳をふさぎたくなるような罵声が一日中飛び交っていました。少年の瞳にうつる母親の顔は、いつもアザだらけでした。
アルコールも罵声もアザも、原因は全部少年の父親です。少年が2歳の頃、父親は突然家族を捨て家を出て行き、二度と戻ってくることはありませんでした。 その後、少年は孤児院で育ちました。
「なぜお父さんは家族をひどく傷つけ、自分を捨てたのか」
激しい怒りと深い悲しみが、突き上げるような痛みとなって少年の胸に満ち、心に暗い影を落とし続けました。
高校を卒業した少年は、海兵隊に入り2年の兵役を務めた後、大学に入り心理学の勉強に熱中します。その後、学校カウンセラーを経て大学教授の職を得ると、あいた時間に執筆活動を開始します。
しかし、彼は心の内面に問題を抱えていました。お酒や麻薬に手を出してしまい、心はいつも不安定でした。父親のことが頭から離れず、許せなかったのです。
そんなある日、彼の元に予期せぬ一報が届きます。自分を捨てた父親が亡くなったとの知らせでした。それも10年前に。
「何ということだ。私は10年も前に亡くなった人のことを、ずっと恨んできたのか」
34歳になっていた“少年”ことウエイン ダイアー氏は唇をかみ、言葉を詰まらせてうなだれました。
許し難い人を完全に許す
彼はこの事実に驚愕と困惑が入り混じった複雑な心境になります。やり場のない、胸がつぶれるような鬱屈した思いは、父親に責任があったにしろ、自分自身が作り上げていたのだと気づいたのです。
(このままではいけない)
ダイアー氏はミシシッピー州にある父親のお墓に一人で向かいました。
父親のお墓を見つけると、彼はその場に立ち尽くしました。父親が去ったのはダイアー氏が2歳の時。それから32年の歳月が流れていました。胸に詰まった思いが涙となってあふれ出て、頬をつたいます。彼はしばらく黙っていましたが、やがて口を開き、
「お父さん、あなたを許します!完全に許します!」
と自らに言い聞かせるように涙にむせびながら言い、
「だから、どうか安らかに眠ってください」
と絞り出すような声で続けました。
大粒の涙が次から次へと落ちる中、不意にダイアー氏の心にいまだかつて感じたことのない静粛と安らぎが訪れました。父親の存在をそばに感じたのです。ただひたすらに、愛しさが胸に満ちていきます。
後年ダイアー氏は、父親を完全に許したことをきっかけに、人生が驚くほど好転したのだと、講演や著書の中でこの話を繰り返し語っています。
それから2年後、彼の初の著書、『自分のための人生』が大ベストセラーになり、その後もベストセラーを連発します。これまでのつらい経験と心理学から学んだ知識をいかして、苦しみから解放される術を多くの人々に伝えたのです。
その後、彼は大学教授を辞し、霊的真理(スピリチュアリズム)の研究に没頭しました。そして学んだことを基盤に多くの人々を励ますことに捧げ、執筆や講演活動、映画製作、テレビ・ラジオ出演などその活動は多岐にわたりました。
ダイアー氏の重厚で心優しい人柄、比類のない聡明さは聴衆や読者を魅了し、尊敬の的になりました。
2015年8月29日、ウエイン ダイアー氏はいくつもの講演活動の日程を残しつつ、ハワイ・マウイ島の自宅にて75年の生涯を閉じました。睡眠中の心臓発作でした。彼のSNSには瞬く間に世界中から多くの哀悼と感謝の気持ちが寄せられました。
ウエイン ダイアー氏の死後、迎えに来てくれた人は・・・
ウエイン ダイアー氏が亡くなってから4年が経ちます。あの時、私は大きなショックを受けました。直前まで海外を講演で飛び回っていただけに、あまりにも突然のことで全く予期していませんでした。何よりも、もっと彼から学びたいと思っていたからです。
一年ほど前、ダイアー氏が夢に出てきてくれたことがあります。あれはマウイ島なのか、見たこともないとても美しい海岸沿いの緑に包まれた場所でした。
とても温かい励ましの言葉を下さり、褒めてくれました。かなり落ち込んでいた時です。こうしてダイアー氏は今も尚、世界中の人々を助け励まし続けているのでしょう。
ダイアー氏が亡くなって間もなく、アメリカの大変有能な霊能者、ジェームズ ヴァン プラグ氏がハワイ・マウイ島を訪れました。彼はダイアー氏と長年の友人でお互いに尊敬し合い学び合う仲でした。
プラグ氏はダイアー氏の長年マネージャーを務めていた女性に会いに行ったのです。
そこに、ダイアー氏の霊が現れました。プラグ氏は尋ねます。
「亡くなった直後、誰が迎えに来てくれましたか?」
プラグ氏の質問にダイアー氏は答えます。
「父と母がすぐに迎えに来てくれたよ」
ウエイン ダイアー氏の教え
彼はいつもポジティブ思考の大切さを人々に教えていました。あなたの思考にはとても力がある。だから、普段自分が何を考えているのか、もっと注意を払いましょうと。
ウエイン ダイアー氏自身が、日常生活の中で口ずさんでいたアファメーションがあります。アファメーションとは肯定的な言葉を何度も繰り返し口にして、思考を前向きな態度にする方法です。
"No one is going to ruin this day for me."
『誰も私の今日という一日を邪魔することはできない』
彼はレストランで自分の料理が運ばれてくるのが遅くても、渋滞に巻き込まれても全く苦にならないと言っていました。なぜならその間にアファメーションをして、思考を前向きに整えることができるからです。
ポジティブな思考を持つことの大切さをウエイン ダイアーさんはよくこんな例えをしていました。
「オレンジを絞ると中から何がでてきますか?オレンジジュースですよね。人間も一緒です。外に出てくるものは、必ず中にあるものです。あなたが心の内側に憎しみや批判を持ち続けるなら、あなたが与え受け取るものは憎しみや批判です。でもあなたの心を愛や思いやりで満たせば、あなたが与え受け取るものは愛と思いやりなのです」
ダイアー氏は人生の可能性を自分自身で閉じている人が非常に多いのだと言っています。「きっとだめだろう」「うまくいかないに決まっている」「どうせ私なんか・・・」とネガティブな言葉を発し、自分で自分を怖気づかせ、やる気をなくさせてしまい、負のスパイラルに陥ってしまっているのだと。
彼はもっと自分を信じ大切にし、望む人生を手に入れられるのだと心から信じ切れば、人生に不可能なことは何一つない、と言うのです。実際に彼の教えを実践し、人生を劇的に変えた人達が世界中に数えきれないほどいます。
"Believe it before you see it." 「見る前に信じなさい」
ウエイン ダイアー氏の名言です。
読みやすい著書を一冊ご紹介
彼の著作にはベストセラーが何冊もあり、日本語にも翻訳されていますが、ダイアー氏の初期の著作は心理学をベースにし、後年はスピリチュアリズムをベースにしています。その中でも比較的読みやすい本をご紹介します。
この本は、全180ページほどで瞑想や思考の働きなどの基本的なことがとても優しい文体で書かれています。こうした本を読む時、最初はしっくりこなくても、何冊か同様の書籍に目を通して知識を増やしたり、何年か後に人生経験を積んでからもう一度読むと、妙にストンと心に落ちる時があります。私自身、10年前に読んだ時と今とでは全く異なる感想を持ちます。
お近くの図書館にもあるかもしれませんので、興味ある方は目を通してみて下さい。
人生は最後まで学びの連続
ウエイン ダイアーさんは、大変な読書家でした。彼は自分がいつも正しい、という考えは決して持たず、出会う全ての人から学ぶ姿勢をとっていました。多くの人にとって人生の教師である彼でしたが、一生徒の立場を晩年になっても崩しませんでした。彼にとって人生とは最後の瞬間まで学びの連続だったのです。
あふれるほどの知識と経験がある方のとても謙虚な生き方に、私は感動を覚えます。
また、彼は自分の元に相談に来る人には常に誠実に接し、温かい言葉をかけ続けました。
「大丈夫。何も心配することも怖がる必要もない。もっと自分を信じて。そうすれば、必ず素晴らしい日がやってくるから」
今回の記事は、ウエイン ダイアーさんに心から尊敬と感謝の気持ちを込めて書きました。
今日も希望発見ブログをお読みいただきありがとうござました。
Your spiritual friend,ラニ
ウエイン ダイアーさんの親友、ルイーズ ヘイさんの記事を以前書きました。
ルイーズ ヘイさんは2年前の今日、お亡くなりになりました。よろしければこちらもお読みください。