希望発見ブログLooking for HOPE

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素晴らしき日本の古典「平家物語」*死と隣り合わせの日常が生み出す愛の言葉

 私の本棚は現在、霊的な本と歴史小説が仲良く肩を寄せ合っています。久しぶりに作家吉村昭さんの平家物語を手にとりページをめくっていると、どんどん話に引き込まれ、最後まで夢中になって読みました。
 平家物語は、平清盛(1118-1181)を中心とする平家一門の栄枯盛衰を描いた日本の古典ですが、現代とは比べようがないほどが身近にあった世の中で、愛する人同士の絆がいかに深かったか思い知らされます。激しい人生の浮き沈みの中、愛に生きた人達の物語をご紹介します。

平重衡の妻への愛「次生まれ変わる時は一緒に」

 平家物語には奈良の観光名所である東大寺や興福寺が登場します。当時、両寺の僧侶は平家に反抗的だったため、平清盛は、五男の平重衡(たいらの しげひら)を総大将にして奈良攻めを行いました。
  晩秋の強風の中、重衡は配下の兵に民家に火をつけるよう命じます。するとそれが猛火となって多くの寺に吹きつけました。居場所を失った女性や子供を含む多くの人々が、東大寺の本堂大仏殿の二階や興福寺に我先にと逃げ込み、大仏殿では敵が上がってこられないように、階段を外しました。
 火の勢いはとどまることを知らず、ついに東大寺に迫り、大仏殿や経文もろとも焼き尽くし、およそ1700名が亡くなりました。興福寺では800名、他の場所を合わせると計3500名が亡くなりました。
 仏教信仰が盛んな時代に、総大将として仏閣と人命を奪った平重衡は、のちに一の谷の合戦で源氏に生け捕りにされ鎌倉に送られると、源氏の総大将、源頼朝に奈良攻めの罪状を問いただされます。
 重衡は「僧侶の悪行鎮圧に出向いただけで、寺が焼けたのは思いもよらない結果だった。敵に捕らえられても恥とは思わない。さっさと首をはねて欲しい」と堂々と受け答え、頼朝をも感心させますが、彼は内心、多くの人命を奪った自責の念に堪えかね、死後の世界を極度に恐れました。彼は浄土宗の開祖法然に会うことを望み、それが許されると、地獄の存在に対する恐怖を打ち明けます。
 法然は「あなたは自分の行為を悔いている。それだけで仏心が生じているのです。自分の罪が深いからといって、自分を卑下してはいけません」と重衡の心を慰めます。
  彼はまた妻の藤原輔子「いつも互いに慰め合ってきたのに、今は別れ別れになって、どんなにか悲しく思っていることか。のちの世では、必ず生まれ変わって会おう。」と手紙を出しました。
 その後、奈良の僧徒がしきりに重衡の身柄を要求したため、頼朝は許可します。重衡は奈良に送られる途中、妻が身を寄せる京都に入った時、妻に一目だけ逢いたいと申し出ます。
 ほどなく許可され、ほんのわずかの間、二人は涙ながらに言葉を交わしました。妻はみすぼらしい恰好をしていた夫を着替えさせ、重衡はそれまで着ていた衣服を形見として手渡します。重衡は泣きじゃくりながら引き留めようとする妻に「またあの世で会おう」と言い残し、刑場へ向かいました。
 重衡は最後、数千人の見物人が駆けつける中、声高らかに念仏を唱え、この世を旅立ちました。その後、妻・藤原輔子は放置された彼の亡骸を火葬するなど丁重に供養し、全てが終わると自らは出家し、重衡の霊を慰めました。
 この時代、生前の行いによって死後の世界で暮らす場所が変わると広く信じられていました。それは紛れもない霊的真実です。またどれだけ悔い改めても、自分がしたことの責任(カルマ的な清算)は、死後も負います。しかし真摯に自らの行為を反省することが霊的成長の大きな一歩であり、その気持ちが、死後の世界で助けてくれる人をも呼び寄せます。
 重衡が最後の瞬間まで念仏を唱えたように、信仰心は死後の世界に対する恐怖心を和らげることがあります。反対に言えば、地上の既成宗教は、その恐怖心を巧みに利用し、教義を創り、信者を増やしてきました。「念仏を唱えよ」「イエス様を信じよ。全ての罪は許される」と。しかし宗教はあくまでも地上的なもので、死後の世界は宗教を超越した世界です。
 人は結局自己改善によってのみ、自分を救うことができる。全ての人が死後、気づくことです。人生には、最後の一日まで自分を救うチャンスがあります。

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平維盛の苦渋の決断「あなたを愛しているからこそ」

 処刑された平重衡の甥で平清盛の孫(長男重盛の息子)にあたる、平維盛たいらの これもり)も、非業の死を遂げました。彼は平家が都を統治する力を失い、平家一門が家族と共に西国へ逃げる中、妻と二人の子供(10歳の息子と8歳の娘)を都に残します。
 維盛は妻に「一緒に連れて行きたいが、前途に敵が待ち受けているから連れて行けない。もし自分が討たれても出家などしないように。どんな人とでも再婚し、子供達を育てて欲しい」と言います。
 この言葉に妻は涙ぐみながら、「それはあまりにも冷たいお言葉。私は誰とも再婚しません。前世の縁があればこそ、こうして一緒になったのではありませんか。いつも一緒にいて、同じ野原で命を捨て、同じ水底で溺れ死のうと約束しましたのに、それでは寝覚めに交わした言葉はみな嘘になります。幼い子を残してどうしろと言われるのです」と訴えるように言いました。
 維盛は「私が15歳、君が13歳の時結婚し、火の中、水の底でも共に入り、一緒に死のうと誓いあった。しかし連れて行けば必ずつらい目にあわせる。」と言い、妻を説得しました。
 門を出る時、2人の子が「どこに行くのですか!私も行きます!」と体にしがみついて父に泣訴しますが、維盛は断腸の想いで一人馬を進めました。
 その後、維盛は病にかかり、讃岐の屋島に逃れます。彼は妻子に逢いたい想いを押しとどめ、筆をとると、和歌をしたためました。
 いづくとも 知らぬ逢瀬の藻塩草 かきおく跡を 形見とも見よ
(どこで逢うとも知れぬ私達 藻塩草のような頼りないこの私の手紙を せめて形見として下さい)
 維盛は思い悩んだあげく高野山に向かい出家します。その後、那智勝浦で入水し、命を絶ちました。
 現代の自殺とは少し意味が異なり、この世の欲望を断ち切り、後世を願って極楽往生を遂げるという遺志がありました。補陀落渡会(ふだらくとかい)と呼ばれる捨身行で、中世の日本でよく行われました。
 維盛の死は、便りが突然途絶えたことを心配していた妻の耳にも入りました。彼女は嘆き悲しみつつ出家し、京都の大覚寺にて身を潜め維盛の霊を慰めます。
 しかし、そんな彼女にさらなる悲劇が訪れます。12歳になった息子がとらえられてしまったのです。源頼朝は平家一門を捕らえては惨殺してきましたが、その手は平家の血が流れる子供にも及んでいました。
 幸いこの時は、文覚房という名の僧の活躍によって危機一髪一命は取り留めましたが、およそ18年後に斬られることになります。男達の決断で始まる戦争の最大の被害者は、いつの世も、なす術のない女性や子供です。
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建礼門院徳子の涙「息子に逢いたい」

 平家物語は平清盛の娘で、安徳天皇の母でもある建礼門院徳子が、京都大原にある寂光院で息を引き取るところで終わります。平家が万事休すとなった壇ノ浦の戦いで、徳子は数え年8歳の最愛の息子が、海に身を沈めるところを見届け、自らも身を海に投げ入れますが、源氏方に熊手で引き上げられ、一命をとりとめます。
 徳子はその後、都にもどり出家し、雨風が容赦なく隙間から吹き抜ける粗末な家屋に身を寄せました。その後大地震を経て京都の寂光院に移り、平家一門、とりわけ息子の冥福を毎日祈り続けました。
 まさに平家の栄枯盛衰の真っただ中に生きた建礼門院徳子は、1191年、最期まで念仏を唱え息子を想いながらこの世を旅立ちました。私の心には、彼女が天国ですぐに最愛の息子と再会し、熱い涙で頬を濡らしながら抱擁を交わしている姿が思い浮かびます。
 建礼門院徳子が亡くなった際、傍らには、平重衡の妻藤原輔子がいました。彼女は建礼門院の息子、安徳天皇の乳母を務めた縁があり、壇ノ浦の戦いで海に飛び込もうとしたところ、建礼門院同様、源氏方に捕らえられました。建礼門院を見届けた後、彼女は後を追い、極楽往生を遂げたと平家物語は記しています。

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写真:京都・寂光院(出典:寂光院HP京都大原 寂光院 (jakkoin.jp)

平家物語*愛に生きることで恐怖に打ち克つ

 平家物語を通して、同じ日本の大地に生をうけ、人生の辛苦に直面してきた人達の想いを感じる時、どれだけつらかっただろうと何度も込み上げてくるものがありました。同時に、愛に生きることで恐怖に打ち克とうとする姿が胸をうちます。
 この時代の日常のすさまじさは、言語を絶します。出産で亡くなる女性や、夭折する幼子が大変多く、たとえ成人しても、数々の争いや飢饉などに翻弄され、毎日が死と隣り合わせです。親の罪が子まで及んで流罪や死罪になったり、争いがあれば家族が離れ離れになって、お互いを探し出す手段がないことだってあります。
 だからこそ、親子、夫婦、または主従関係にある人達が「死ぬ時は一緒だ」「死んだらあの世でも一緒になろう」と日常的に絆を確かめ合い、実際にどちらかが先に亡くなると、「あの世でも一緒になれますように」と心から祈りました。
 明日の命さえわからない毎日だからこそ、心からお互いを想い合い、しっかり言葉にして伝え合う生き方は、現代人が忘れかけている大切な何かを教えてくれている気がします。
 また、利己主義に走った平家が衰退・滅亡していく姿を描いた平家物語は、全ての読者に謙虚さと感謝することの大切さを心に留めさせてくれるだけでなく、魂の琴線に触れるほどの苦難を経験した人ほど、人として大きく成長できるという人生の素朴な真実を教えてくれる貴重な古典です。
今日も最後まで希望発見ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
Your spritual friend,Lani

参考文献:吉村昭の平家物語(講談社文庫)、平家物語の女性たち(文春文庫)
同時代を描いたおすすめ歴史小説:義経(司馬遼太郎)、建礼門院徳子(鳥越碧)、かまくら三国志(平岩弓枝)、北条政子(永井路子)

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