先日、夢の中で司馬遼太郎さんの著書「竜馬がゆく」(新潮文庫・全八巻)が自宅の本棚に並べられている光景を見ました。実際に並んでいるのですが、はっきりその場所だけが起床時に強く印象に残りました。
睡眠中の夢は、地上にいる私達が天国にいる愛する人と最もコミュニケーションを取りやすい場所であり、数々の人生へのヒントが含まれているということを、これまで何度か当ブログで言及してきました。今回の記事では実体験を元に、夢と日常生活で起こる偶然の一致・シンクロニシティについて霊的な観点からお話します。
睡眠中の夢につまっている道しるべ
人間、好きな道によって世界を切りひらいていく
坂本龍馬
「竜馬がゆく」は20年来の愛読書なので読みなれてはいますが、今回の夢はきっともう一度読むようにとのサインだと感じ、久しぶりに手に取って読んでみました。
土佐藩(高知)出身の志士・坂本龍馬は少年時代、なかなかおねしょが治らず周囲からバカにされたり、勉強についていけず先生から完全に見放されるなど、子供の頃から劣等感に悩んでいました。
その彼に自信を与えたのが、3歳年上の姉、乙女(おとめ)です。彼女は学問だけでなく馬術や剣術などを龍馬に熱心に教え、決して見放すことがありませんでした。龍馬は19歳の頃、このような句を詠みました。
世の人は 我を何とも言わば言え 我がなすことは我のみぞ知る
周囲に何を言われようがどう思われようが、龍馬が心の奥底でどれほど自分自身を信じていたかが伝わってきます。「自分を信じること。どんな時も」心にとどめておきたい人生訓です。
実際に彼は少年時代の強烈な劣等感を克服し、幕末の風雲に乗り込み、海援隊、薩長同盟、船中八策など、斬新な発想で近代日本の礎を築く大原動力となり、維新史の奇跡と呼ばれました。
また土佐藩には他藩以上に厳しい階級制度があり、龍馬は江戸期を通じて激しい差別・弾圧に耐えてきた郷士と呼ばれる下級武士の家で生まれ育ちました。だからこそ誰よりも平等な社会を欲し、理不尽な社会を変革するため、勇猛果敢に挑んだのです。
どんな短い人生にも春夏秋冬があると言ったのは同時代に生きた長州藩士吉田松陰ですが、1867年11月15日の夜、坂本龍馬は京都近江屋で凶刃に倒れ、怒涛の春夏秋冬の人生に幕を閉じました。
今回、夢がきっかけで「竜馬がゆく」を全て読み終えた後、私の中で、あるお話を皆様と共有したいという強い想いが芽生えました。坂本龍馬の死後30年以上経ったある夜、明治天皇の皇后である昭憲皇太后の夢に、龍馬が現れたのです。
死後30年以上たって昭憲皇太后の夢に現れた坂本龍馬
明治37年、日本はロシアの南下をふせぐため、ロシアと国交を断絶し、日露戦争に突入することになりました。昭憲皇太后は、強力な海軍を要するロシアと戦うことを大変不安に思っておられました。日露が断交した2月6日の夜、皇后の夢に一人の武士が現れ
「微臣は、維新前、国事のために身を致したる南海の坂本龍馬と申すものに候」と言い、こう付け加えました。「海軍のことは当時より熱心に心掛けたるところにござれば、このたび露国のこと、身は亡き数に入り候えども魂魄は御国の海軍にとどまり、いささかの力を尽くすく候。勝敗のことご安堵あらまほしく」
夢から覚めた皇后は、幕末、坂本龍馬と親交のあった皇后宮大夫の香川敬三に「坂本龍馬とはいかなる人物か」と尋ねられました。香川は龍馬の経歴を述べましたが、皇后は夢の内容を伝えませんでした。すると次の夜も同じ坂本龍馬を名乗る人物が夢に現れたため、皇后は香川に夢の内容を全て打ち明けました。
香川はすぐに生前の坂本龍馬の写真を入手し皇后に見せると、皇后は大変驚き「夢に出てきた人はこの人である」とおっしゃいました。この話は「皇后の奇夢」として当時の都下の全ての新聞に載りました。この後、日露戦争は日本の勝利に終わります。
この夢は、霊的に何を表すのでしょう?坂本龍馬は幕末、いち早く藩意識から飛び出し、「日本人」という意識を持った人でした。人の志や情熱は、死後も霊的存在として、より高い意識レベルで続きます。彼のような私利私欲のかけらもない純粋な愛国心を持った人は、死後も祖国のために情熱を注ぎ続けるのです。そして、地上にいる同じような情熱を持つ人と霊的親和力によって結ばれ、全力で支援し続けます。
坂本龍馬を夢で見た昭憲皇太后は、国際基金の先駆けと知られ、女子教育や慈善事業にも大変ご尽力された方でした。人は睡眠中、毎晩意識(霊体)の一部が肉体を離れ、霊界を訪れます。二つの美しい魂が夢の世界で出会うことに、何一つ不思議はありません。
驚異的な偶然の一致・シンクロニシティ*それは天からの合図
「竜馬がゆく」を書き、多くの命の旅路を見つめ続けてきた歴史小説家・司馬遼太郎さんは「人の世には信じられないほどの偶然がある。いや偶然だけが、殺風景な人生に、キラリとした神秘の灯をかかげてくれるのかもしれない」
とおっしゃっていますが、この昭憲皇太后の夢の記事を書いている間、神秘性を感じた偶然の出来事がありました。
急用ができ、ビルに囲まれた大阪市内の街中を歩いていると、突然目の前に大きな記念碑が目に入りました。そこには【昭憲皇太后 英照皇太后 行啓之所】と記されていました。あまりのタイミングに、思わず息をのみ記念碑の前で立ち尽くしました。昭憲皇太后は、今から130年ほど前の明治23年に、当時その地にあった府立博物場を訪れたそうです。
私は普段からこうした神秘的な偶然の一致(シンクロニシティ)にアンテナを張っています。シンクロニシティとは、私達の日常生活で誰にでも起こりうる天からの神聖なサインであり、優しく背中を押し、進むべき道へ導いてくれる神秘的な出来事です。
悩んでいたことの解決策が、たまたまつけたテレビやラジオ、ネット上のサイトの中にあったり、お店の中で流れている音楽の歌詞や店員さんの会話、ふと開いた本の中の一文、なぜか不思議と繰り返し見る特定の数字など、思いもよらなかった方法で、完璧なタイミングでもたらされます。
私達は人間であると同時に霊的な存在であり、知りたいことは、夢やシンクロニシティ、直感など、日常生活の中でより霊的アンテナを張ることによって、受け取ることができます。尚、睡眠中の夢は、全てが霊的な意味を持つわけでなく、ただ単に感情を整理している場合がありますが、その時は無意味に思えても、覚えている限り、起床後できるだけ書き出してみることをお勧めします。あとで意味を成すことがあるからです。また意識することで徐々に覚えていられるようになります。
睡眠中の夢を最大限に活用し、シンクロニシティを楽しむ
今回は実体験を元に夢とシンクロニシティについてお伝えしてきました。前述した通り、睡眠中、私達の意識(霊体)の一部は毎晩霊界を訪れます。先に旅立った愛する人と過ごしたり、いつか訪れる天国の環境に慣れる目的や、霊的な教育目的で様々な場所を訪れます。
また睡眠中に、私達を生涯に渡り見守っている霊的ガイドから、癒しのエネルギーを受け取ったり、現在悩んでいることに対するアドバイスをもらうこともあります。朝目覚めた時、それまで悩んでいたことに対する答えが脳裏にひらめいたり、ある場面だけとても印象的な場合があります。これは霊的ガイドが私達の霊体に思念を吹き込んだ上で、忘れないよう保護してくれているのです。
別の記事でもご紹介しましたが、私は以前、起床時に「シルバーバーチ」という声がはっきりと聴こえたことがあります。それまでそのような経験は一度もありませんでした。
とても気になりすぐに調べてみると、それは3000年前に地上人生を終えた後、高い霊的進化を遂げ、1900年代前半から約60年間に及びイギリス人霊能者モーリス バーバネル氏を通じて霊的真理を伝えた霊の名前だとわかりました。その内容が「シルバーバーチの霊訓」という本になっていることも知り、さっそく読んでみるとそこには私が当時求めていた霊的知識がくまなく載っていました。あの体験がなければ、希望発見ブログを始めることはありませんでした。
私がお伝えしたいことは、夢、直感、シンクロニシティを含めた非日常的な霊的な体験をした時、それが例え誰かに話したらバカにされたり信じてもらえないような出来事でも、自分自身が見たこと、聞いたこと、感じたことなどは、信じることです。
他の誰かにわかってもらう必要はありません。結局のところ、霊的な成長は個人的な意識改革の道であり、私達は自分で自分を高めることにより、自分自身を救うことができます。
「世の中には偶然など何一つない」という意識で日常生活を送ってみると、何気ない出来事や出会いの中に神秘的な偶然の一致が見つかり、心強い人生の指針となります。
大変ありがたいことに、多くの方が星の数ほどあるネット上のサイトの中から、希望発見ブログにお立ち寄り下さり、私にとって毎日が奇跡のシンクロニシティの連続です。
願わくは、皆様にとっても、今この文章を読んで頂いていることがただの偶然ではなく、霊的な意味を持つシンクロニシティの一つとして受け入れて下さったら、とても嬉しく思います。
今日も最後まで希望発見ブログをお読みいただき、本当にありがとうございました。
Your spiritual friend,Lani
参考文献:竜馬がゆく(新潮文庫)、司馬遼太郎が考えたこと(新潮文庫)、インペレーターの霊訓(潮文社)、シルバーバーチの霊訓(潮文社)、天国との会話(光文社)、人生をもっと幸せに生きるために(河出書房新社)