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希望発見ブログLooking for HOPE 

心を癒す旅 ~もっと楽しく、もっと気楽に。

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霊的真理(スピリチュアリズム)、瞑想、歴史、名言、旅行、子育て、エンタメ、心の癒し。様々な分野から、楽しく楽観的に生きるための希望を見つけ、ご紹介しています。

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緒方洪庵と大阪適塾*福沢諭吉も学んだ必見の史跡を写真でご紹介

 あなたの尊敬する歴史上の人物は?と聞かれたら、瞬く間に何人もの顔が頭をよぎりますが、その中でも深々と敬礼したくなるような思いになる人が、幕末の医師、方洪庵(おがたこうあん・1810-1863)です。彼は生涯名誉を求めず、常に謙虚・誠実な人柄で、深い愛情と共にひたすら人々のために尽くした人です。
 高々としたオフィスビルが立ち並ぶ大阪市中央区北浜には、周りの景観と馴染まない江戸時代の古い民家があります。それは、緒方洪庵が医師として診療を行う傍ら、全国から身分に関係なく志ある者を無条件に受け入れ、最新の西洋知識や人のあるべき姿を伝授した史跡・重要文化財『適塾』(てきじゅく)です。
 今回は、誰からも尊敬された美しい心の持ち主緒方洪庵の一生と、第二次世界大戦時の空襲にも奇跡的に戦火を免れた適塾の内部を、写真付きでご紹介します。

参考文献:洪庵のたいまつ(司馬遼太郎・朝日出版社)、絵でみる江戸の人物事典(廣済堂出版)、緒方洪庵の妻(西岡まさ子・河出書房新社)、緒方洪庵と適塾

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『人が人なみでない部分をもつということは、すばらしいことなのである。そのことが、ものを考えるばねになる』(司馬遼太郎・洪庵のたいまつより)

劣等感を探究心へ*希望を行動に移した緒方洪庵

  緒方洪庵は江戸時代末期、備中・足守藩(現・岡山県)の武家に生を受けたものの、幼少より身体が弱く病気がちでした。洪庵少年は考えます。「いったいなぜ自分は体が弱いのか。どうしたら強くなるのか。病気の原因や人体の仕組みはどうなっているのだろう」劣等感が探究心へと変わり、彼の挑戦が始まりました。
   当時世に広まっていた医学は中国から伝わった漢方が主流でしたが、洪庵が勉強を始めたのは、オランダから伝わった最新医学の蘭方(らんぽう)でした。
  彼は大阪で蘭学の塾に通い、22歳で江戸に出て当時の蘭学第一人者である、坪井信道(つぼいしんどう)の元で4年間学び、オランダ語を身に着けました。
 そのあくなき探求心は、洪庵を長崎に向かわせます。洪庵は鎖国中の日本が唯一西洋の知識を入手できた長崎にて、蘭学を2年間学びました。彼はオランダ商館長のニーマンから教えを受け、ヨーロッパ医学の知識をさらに深めます。 

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身分は関係ない!夢を持つ人が全国から集まった適塾の始まり

 緒方洪庵はこのあと大阪に戻り、2階建の民家を買い取り、適塾をつくりました。洪庵29歳の時です。医師として診療を続ける傍ら、全国から最新の学問を学びたい人達を受け入れ、知識を社会に還元したのです。
 またその頃、物静かで心優しい17歳の女性、八重(やえ)さんと結婚します。八重さんは現在の兵庫県西宮市出身。彼女は生涯に渡り洪庵を支え続け、適塾の塾生からはと呼ばれ慕われます。
 私が『適塾』について大変感動することの一つは、歴然とした身分社会の江戸時代において、ここに入塾した人は武家の子であろうと、医者の子であろうと、商人であろうと身分は一切関係がなく、皆横一線で肩を並べ勉強したということです。中にはとても貧しい家の出身の塾生もいました。
  のちに慶應義塾大学を創設し、一万円札の肖像にもなっている福沢諭吉、日本赤十字の先駆者とも言われる医師の高松凌雲、日本赤十字社を創設した佐野恒民、長州藩出身の医師で戊辰戦争で長州藩を指揮し日本陸軍の祖とも言われる大村益次郎など、そうそうたる人物がここで学びました。
  洪庵は適塾を始めるにあたり、自分自身と門弟に12条からなる訓戒をつくりました(扶子医戒之略)。最初に出てくるのはこのような言葉です。
『医者は自分のためでなく、人のために生きなさい。楽をせず、名誉を考えず、利益を追わず、ただ人の命を守り、病気の苦しみをやわらげてあげることだけを考えなさい。』
 洪庵は、医学は愛であり思いやりであると言っているのです。こんな考えを持った誠実なお医者さんが近所にいたら安心ですね。
  洪庵は塾生にも怒ったことがなく、いつも温厚で全ての人に同じ態度で敬意を持って接しました。塾生はそんな洪庵の人柄にとても深い尊敬の念を抱きます。緒方洪庵先生こそ、目指すべき人格であると誰もしも心で感じたのでしょう。私もそうありたい、とこうして記事を書きながら熱く湧き上がるものを感じます。
 下の写真は、適塾の2階にある塾生が実際に寝起きし、猛勉強した畳32枚分の部屋です。1人畳1枚分があてがわれていたそうです。成績の良い人は壁際を占領できたとか。福沢諭吉は間違いなく壁際ですね。

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適塾の仕組み

 入塾時、非常に厳しい試験に通過した者だけが、適塾の狭き門をくぐるのかと思いきや、試験などなく、無条件で入ることができました。
 塾生は習熟度によって階級別にわけられ、入塾すると8級生となってオランダ語の勉強が始まります。各級には『会頭(かいとう)』と呼ばれるリーダーがいます。テストを受けて良い成績を残すと1つずつ級があがり、1級を目指します。といっても各グループで一番の成績を三ヶ月続けないと進級できなかったそうです。
 全塾生のリーダーは『塾頭』と呼ばれ、診療で多忙な緒方洪庵先生に代わって、塾生に教えることもありました。福沢諭吉も塾頭を務めたことがあります。
 塾生は適塾にあった一冊のオランダ語辞典をまわし合って使い、西洋から伝わる最新の知識の習得のため、来る日も来る日も猛勉強しました。
 私は塾生がよく過ごした2階でしばらく思いにふけました。身分も年齢も夢も様々な塾生たち。お互いに随分他愛のないイタズラもしあったようですが、塾生には自分達こそ、未来の日本をしょって立つのだ!という強い気概がありました。きっと彼らの瞳に映る未来の日本は、とても明るかったのでしょうね。
 一階には応接室や中庭、土間がありました。緒方洪庵の妻、八重さんがお手伝いさんたちと一緒に塾生のために日夜食事を作った台所も見学できます。
  ちなみに緒方家には子供が13人いました。そのうち4人が早世しましたが、緒方夫妻は塾生の面倒を見つつ9人を育て上げました。 

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天然痘との戦い*恐怖の伝染病から日本を救った緒方洪庵

 歴史小説を読んでいると、よく天然痘(てんねんとう)という病名を目にします。 高熱とともに体中に膿ができ死に至ることも多く、何百年もの間、人々から非常に恐れられた伝染病です。
 もし治ったとしても、顔中にぶつぶつができてしまうため、それを恥じて家から出られなくなったり、女性は結婚をあきらめたり、顔を常に布で覆い隠す戦国武将もいました。
 緒方洪庵はオランダから伝わった蘭方医学の中に“希望”を発見しました。牛の病気『牛痘』に人間がかかると、天然痘にはかからないことがわかり、牛痘でできた膿を人に植え付ける天然痘の予防接種を日本全国に広めたのです。
  そんなことをしたら牛になる!と迷信深い人達から随分誹謗中傷にもあったようですが、洪庵はワクチンを培養し、予防接種の場所を全国に186か所設置し、多くの人々を恐怖から救いました。
 下の絵は、私の息子が適塾の受付の方から頂いたポストカードです。絵の左のほうに緒方洪庵先生が、子供に予防接種をしている様子が描かれています。右下に【TEZUKA PRODUCTION】と書かれています。漫画家手塚治虫氏の曾祖父である手塚良仙氏も福澤諭吉と同じ年に入塾し、天然痘の予防接種の際、尽力されたそうです。
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洪庵の最期、受け継がれる洪庵の想い

 緒方洪庵のすばらしい行為・業績は、幕府の知るところとなります。幕府は当然そんな優秀な医者を放ってはおきません。幕府は再三江戸に来るよう洪庵に要請します。
  医師なら誰もが最高名誉である将軍の奥医師のお誘いを迷わず受けるでしょうが、名誉を一切求めない生き方を貫いてきた洪庵は、断り続けます。が、幕府の執拗な誘いに承諾せざるを得なくなり、53歳の洪庵は江戸に向かい奥医師に就任します。
 幼い頃の劣等感を探求心に変え、多くの人々を恐怖から救い、のべ1000人を超すとも言われる門弟に知識や経験・愛情を惜しみなく与え続けた緒方洪庵は、江戸に行ってからわずか一年後に、突然喀血して亡くなりました。
 幕府が倒れ、明治の世を迎えたのはそれから4年後です。塾生たちは、洪庵から学んだ知識や人としてあり方を胸に大きな一歩を踏み出し、激動の時代の中、様々な分野で大活躍します。

大阪適塾へのアクセス、料金等

場所:大阪市中央区北浜3丁目3番8号
電話:06-6231-1970
開館時間:午前10時から午後4時
休館日:月曜日(国民の祝日の場合は開館)、国民の祝日の翌日(土、日、祝の場合は開館)年末年始(12月28日から1月4日)
交通機関:京阪電車*本線ー淀屋橋駅及び北浜駅から徒歩約5分、中之島線ーなにわ橋駅から徒歩約7分
地下鉄*御堂筋線ー淀屋橋駅から徒歩約5分、堺筋線ー北浜駅から徒歩約5分
料金:大人・260円、高校生大学生等・140円、中学生以下無料

おしまいに*適塾のすすめ

 大阪にお立ち寄りの際は、一度適塾をのぞかれてはいかがでしょうか。中には貴重な資料も展示されていて、大阪好き、歴史好きの私としてはお勧めの場所です。
 私は小学生の息子を連れて行きました。彼には江戸時代の学校とだけ事前に伝えたのですが、到着後「校庭はどこ?」と聞いてきました。江戸時代の2階建ての民家ですのでもちろん広い校庭も体育館もありません。資料を全部ゆっくり見ても所要時間は20分から30分ほどです。
 江戸末期、そこは確かに夢に満ちあふれ、緒方洪庵が最も大切にした愛と思いやりが存在しました。まさに希望の発信地だったのです。洪庵が灯した夢と思いやりの明かりは、多くの塾生に受け継がれ日本全国に広がりました。
  適塾に行けば、洪庵や多くの塾生が発した希望の光が今も私達の生活を明るく照らしていることを、深い感謝と共に心で感じられるに違いありません。

 今日も希望発見ブログをお読みいただき、本当にありがとうございました。
Your spiritual friend, ラニ 

  今回の記事の参考文献の一冊をご紹介します。下の本は緒方洪庵の妻、八重さんを主人公にした小説で、当時の様子が詳しい資料と共に非常にわかりやすく書かれています。八重さんの子供達や塾生の写真、適塾の詳しい年表(誰がいつ何歳の時に入塾したか等)も載っています。興味がある方は是非読んでみて下さい。

 

www.spiritualfriends.work

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