希望発見ブログLooking for HOPE

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【北条早雲】年齢は関係ない!最期まで頼もしくあれ!日本初の戦国大名の見事な一生

56歳で人生をリセット*人はいつだって再出発できる

 お正月に家人がテレビを観ていて、たまたま目に入ってきたのが箱根駅伝でした。私は今までちゃんと観たことがないのですが、ちょうど5区で箱根の小湧谷の登り坂を、沿道の温かい歓声に包まれながら、青山学院大学のランナーがトップを快走していました。
 箱根の坂を膝を上げて懸命に駆け上がっていくその姿がとても勇ましく、多く人々を元気づける気持ちが分かった気がしました。
 彼の姿を観て、500年以上前に生まれ日本発の戦国大名となった人物が、私の心の中で鮮やかによみがえりました。
 北条早雲(ほうじょう そううん)です。
  ただし、彼が志を胸に箱根の坂を駆け上がった時は、沿道の歓声も旗を持って応援してくれる人もいませんでした。
 私は20代の頃、司馬遼太郎さんの小説「箱根の坂」を読み、北条早雲に魅かれ、以来ずっと彼は心の中に生き続けています。
「箱根の坂」の中にこんな言葉があります。
「人は頼もしくあらねばならない。人から頼られ、人の命をかばい、人の暮らしを立つようにしてやり、人の悲しみには我がことのように泣く心をもち、人が田地を押領されれば、たとえ非力でもその敵には立ちむかい、おのれの首に矢が立っても悔いはないという心を、つね日頃から養っておかねばならない」 

 

 どうしたら頼もしい人間でいられるのか、を教えてくれた北条早雲は特筆すべき人です。
 “人生50年”と言われていた時代に、大飢饉にも全く民衆の苦しみを顧みない室町幕府の横暴な政治を打倒するため、56歳の時に強い志を持って立ち上がりました。
 応仁の乱で腐敗した京都を離れた早雲は、東に向かいつつ次々と勢力を拡大し、ひたすら民衆に善政を敷き、87歳で日本で最初の戦国大名になり、88歳で伊豆の地でその崇高な宿命を終えます。
 彼は元々、伊勢新九郎と名乗っていましたが、わずかな余生を静岡県の伊豆で送っていた頃、富士山の高峰に現れては消えていく雲を眺めて、「早雲」と名乗りました。
 自分もこうありたい。いくつになっても、希望を持って生きていたい。そう思わせてくれた早雲の見事な一生を簡潔にご紹介します。

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思いやりに生きた北条早雲

  北条早雲が住んでいた京都には、地獄絵図とも言われた応仁の乱(1467年)が勃発し、私利私欲の戦が続いていました。彼は足軽が略奪や放火をし、民衆が苦しむ様子を目の当たりにしました。
 彼の生まれた家は、幕府の礼儀作法を司ってきた由緒ある家で、早雲も高い教養を身につけていました。早雲は数奇な人で、各地を放浪したり、将軍の弟に仕えたり、四十代に禅寺にこもり出家します。
  しかし50代になり、突然禅寺での修行をやめます。早雲は一旦幕府に戻りますが、「このままではいけない」と思い立ち、室町政権を打倒すべく京都を離れ、駿河(現・静岡県)に向かうことを決意します。
 次第に勢力を拡大し、伊豆を制定します。この時60歳でした。そして箱根を目指します。
 早雲は勢力を拡大しつつ民を統治するにあたり、こんな戦略をとりました。

敵を攻める前に、敵の情報をしっかり入手し、分析する。
降伏した領主は完全に許す。
飢饉の時は、たとえ敵であっても民衆に薬を配り、看病する
略奪は一切禁止する。
農民の年貢を下げて、自らは質素倹約を心掛ける。

 彼の政策は、現代の人々にも十分通用するリーダー論であり、また人としての模範を示しています。行動に深い思いやりが必ず伴っています
 するとどうなるのか。早雲の善政の評判は他国の領民まで届き、早雲が納める国の領民になりたいという人が続々と集まり、組織力は自然と強くなりました。
 極めつけは戦の時。心から早雲を慕った領民は、もし彼が敗れれば、以前のつらい暮らしに戻ってしまうと思い、「早雲様のために!」と武器を取って全身全霊で戦い抜きます。
 大敗を期したこともありましたが、基本方針を貫き味方を増やし続けた早雲は、伊豆・相模の二か国を、85歳の時に平定します。
 数年後独立を宣言し、室町幕府の支配からの完全な脱却を表明します。戦国大名の誕生です。 

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自分をひたすら信じて一歩前へ

 歴史は、名前も後世に残らない尊い命が懸命に生きた日常の積み重ねです。私達のように、日々悩み、自信を失い、未来をおびえ、それでも何とか生きる希望を見いだした先人が、命をつないでくれました。
 北条早雲は、名前こそ後世に残りましたが、朝廷や幕府から位を授けられても、一切受け取りませんでした。名誉に生きず、とにかく領民のための善い政治を心掛け、実行し、地方から日本を変えることを断行しました。
 今の私達は、彼の生き様や考え方から多くを学べるのではないでしょうか。それは決して古くさいものではなく、とても新鮮で心に響きます。

夢を叶えることに、遅すぎることなんてない。今すぐに立ち上がろう!
本当にやりたいことを見つけ、その情熱に生きよう
思いやり深く生き、みんなで助け合おう!
人生はいつだってリセットできる。恐る恐るでもいいから一歩前へ踏み出そう!
できる!やれる!と自分をひたすら信じよう!そうすれば、周りの人はあなたを頼もしく思い、ついてきてくれる。

早雲の魂は永遠に*その後の北条家

 さて、北条早雲は早雲寺殿二十一か条と呼ばれる家訓を子孫に残しました。読書をするように、常に正直で素直な心を持つように、身だしなみに注意するように、などとてもシンプルな教えばかりです。
 早雲の死後、日本各地に戦国大名が頭角を現し、北条家もその波にのまれます。早雲から五代目の氏直の時、豊臣秀吉によって北条家は降伏を余儀なくされます。
 最期の時、藩主北条氏直「自分が切腹するから他の皆の命だけは助けて欲しい」と願い出て、秀吉は受け入れます。
 ただし秀吉は氏直の人間性を褒め称え、切腹させずに高野山に一時的に追放した後、許し、河内の国、狭山藩の大名として復活させます。早雲の“徳”が実ったのか、狭山藩は幕末まで続きます。
 こんな大変な状況の中で、この人はこんな風に試練を乗り越えることができたのか、こんな考え方をすればいいのかというふうに歴史は人生を見る視点を変え、幸せに生きる指針を与えてくれます。
 また霊的な観点からも、この世の経験には何一つ無駄はなく、試練は私達の心の成長を育んでくれます。一生を終えた後、私達は成長した分の心を携えて、次の世界へ進みます。
「あの時は本当につらかったけれど、あの経験があるからこそ、今の自分がある」
そう思える日が必ずきます。だからこそ、人生は投げ出すわけにはいきません。どんなにつらいことがあっても。
 最期の瞬間まで人生は学びの連続であるからこそ、年齢なんてただの数字だと言わんばかりに、56歳の時に決意を固め勇猛果敢に理想の国造りにまい進した北条早雲の生き様に、熱い希望を感じました。
 今日も希望発見ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
 Your spiritual friend, ラニ

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