神は芸術を好む
それは両親が無視していること
神は芸術を好む
だから私は作品をつくる
それこそ神が私にしてほしいことだから
時空を超えて共感する魂*人類は一つの霊的家族
春の日の長木の里は隣より となりつづきに梅が香ぞする
これは、今からおよそ千年前の鎌倉時代に、佐渡島の地で18年の生涯を終えた一人の女性(忠子)が遺した歌です。
忠子が生まれる前、父・順徳天皇は祖父の後鳥羽上皇と共に倒幕を企てましたが、あえなく失脚し佐渡島に流刑となりました。その後、土地の女性と結ばれ、二女として誕生したのが忠子です。しかし忠子が10歳の頃、順徳天皇は都に帰れないことを悲観し、自害したと伝えられています。忠子は皇女でありながら父が流罪の身であるため、一度も宮廷で華やかな生活を送ることもなく、佐渡の地でひっそりと息を引き取りました。
忠子の事績はほとんど何もわからず、ただこの歌の中に、千年前、佐渡の長木という里に確かに生きた女性の人生の一瞬が詰まっていて、 うららかな春のある日に風にのって漂ってきた梅の香りは、いったいこの女性にとってどんな一瞬だったのか、あるいはそれが病床だったかもしれず、この歌を詠む間、忠子の心とつながるような想いがします。
心(ハート)は、英語でHEARTと綴ります。この中にはHEAR(聞く)とART(芸術)という言葉が含まれていて、芸術とは、自分の心の声を聴き、それを表現することです。忠子の場合、多くの先人がしてきたように、書くという創造的な行為によって自分の心の深い部分とつながりました。だからその文に触れることは、忠子の心に触れることでもあります。
ふと記憶を呼び起こすと、私は以前、アメリカ中西部で遥か古代に描かれたアメリカインディアンの岩絵を見て、深く感動したことがあります。それは私が、古代に生きたアメリカインディアンの心に触れた瞬間でもありました。
文学的な分野以外でも、音楽や陶芸、絵画のような芸術分野において、人は時空をこえて作者の思いとつながったり、胸が熱くなるような感銘を受けることは、多くの人が人生で経験します。
また私たち人間には、日常の様々な場面でも誰かの優しい気持ちや頑張る姿に心震えるような感動を覚えたり、涙をあふれさせて泣いている人の悲しみを自分の痛みのように感じるなど、想いを共感する能力が備わっています。
人が誰かの心と完全につながり合う感覚を持つことができるのは、霊的存在である人間が、本質的に一つの神性(神の特性)を携えた霊的エネルギーだからです。
神とは宗教的な人間を拡大したような存在ではなく、宇宙の万物を創造し、森羅万象の全てを司る高度な愛と知性、そして無限性を併せ持つ存在です。
その神の霊的エネルギーは、地上の生命進化の過程において人間なら人間、犬なら犬というように各種別に大きな意識体(類魂)として分かれて発展してきました。魂とは、神の霊的エネルギーで創られた大きな類魂の一部であり、人はまさしく神の分霊なのです。
あなたは、地球が存在する以前の無窮の過去から、神の霊的エネルギーとして存在していました。当初は無意識の存在でしたが、それが意識をもち、下等な生物から自我を発揮するようになって徐々に進化の段階を得て、ついに頂点の人間まで長い時を経て霊的進化を遂げてきたのです。
一旦、人間として地上世界に生を受けた以上、二度と動物など他の生物に生まれ変わることはありません。一部の宗教で、恐怖心を植えつけるかのように他生物への輪廻転生を唱えるところもありますが、それは事実無根です。
魂は神の分霊であるからこそ、あなたには霊的成長への無限の可能性があり、地上のあらゆる苦難を乗り越える力が内在しています。先にご紹介した忠子の父である順徳天皇は、自分の願いが叶わず人生を悲観して絶望の内に一生を終えてしまいましたが、神性を携えた私たちが人生の様々な困難な状況を好転させるには、自分を信じぬくことが何よりも大切です。不安の念を絶対に心に侵入させまいと固く決意し、取り越し苦労はやめて自分が望む最高の結果をはっきりとイメージし続けるのです。 恐怖心は、魂が持つ無限の可能性に蓋をし、心を委縮させて人間のあらゆる潜在能力を腐食させる強力な作用があります。人類が史上最も恐れてきた死さえも、霊的な視点から見つめれば、恐怖心など跡形もなく吹き飛びます。
自分を心底信じて最大限の強気で突き進めば、神の力が宿るあなたに、この物質世界にすぎない地上人生で、乗り越えられないことなど何一つありません。
次に、さらに詳しく魂という抽象的な言葉の実像、そして知られざるあなた永遠の家族についお伝え致します。
あなたという人*美しくて強いダイヤモンドのように
全ての生命体にとって生きる目的とは、霊的な進化です。人の魂もまた、霊の世界と地上世界、二つの異なる次元の世界で人生を体験することで、より高度な霊的成長を得ることができ、死はその過程で不可避な自然現象です。
死の直後、多くの人がまず実感するのは、意識の広がりです。死の瞬間に生命のひも・シルバーコードが切断されると、意識が肉体から霊体へとうつります。それに伴い五感のような限られた感覚器官から解放され、霊体が持つ豊かな感覚が蘇り、今まで地上人生で感じていた「自分」は、本当の自分のごく一部でしかなかったことに気づきます。言い換えれば、鏡にうつる「あなた」は、本当のあなたのわずかな部分なのです。
神の分霊である魂は、自然界で最も美しい石とされるダイヤモンドに似ています。ダイヤモンドには、言葉では形容しがたい息を飲むような美しさがあり、世界で最も硬い石とされるほどの最強の宝石です。
生まれ育った環境や容姿、能力、他人からの評価に関係なく、全ての人は内部にそんな美しさと強さを持っています。しかしダイヤモンドは本来、土中深くに埋まり、その美しい光沢を見せるにはまず土中から掘り出して、土埃を落とさないといけません。
この土埃に相当するのが、 人間性の低い部分である横暴性や利己性、脆弱性、物質主義などで、それらを様々な体験を通して落としていき、内面の美しさに磨きをかけることが地上人生の目的です。人生に苦しみや悲しみなど強烈な体験があるのは、あなたというダイヤモンド=魂に、強烈な衝撃を与えることで、こびりついた土埃を落とす深遠な意義があるのです。
この衝撃は、ありとあらゆる試練の形をとることが多々あります。人はこれを不幸とか不運と呼びますが、ダイヤモンドについてる土埃が落とされることは、霊的視点からみれば決して不幸ではなく、本当の幸福へと続く道への分岐点です。
なお、ここが大きなポイントですが、人が一度の地上人生で磨きをかけることができるのは、魂(ダイヤモンド)の一面の部分だけです。たとえ100年の時を地上で過ごしたとしても、あなたの魂の全てに磨きをかけることはできません。大多数の人が自らの意思により、何回も生まれかわって別の国籍(同じ場合もある)や社会的立場、性別などを体験することで、ダイヤモンドの他の面の土埃を落としていきます。そして一定の輝きに達すると、特別な目的や使命でもない限り、二度と地上に生まれてくることはありません。
アフィニティ*永遠の霊的家族の存在
先にお伝えしたように、神の壮大な霊的エネルギーは、生命進化の過程において細分化し、人間という一大家族を形成しました。細分化はそれだけにとどまらず、幾億もの魂の中で、お互いに非常に強い愛と極めて強い親和力を持つ人同士が小さな類魂を形成し、霊的家族となりました。この霊的家族のことをアフィニティと呼びます。
アフィニティの数には決まりがなく、50名〜100名ほどの場合、さらに多い桁数で大家族を構成することもあります。当ブログではよく、一生の間、霊の世界から見守り導いている霊的ガイドの存在に触れることがありますが、霊的ガイドも多くの場合、同じアフィニティに属する人がつとめます。
アフィニティ同士が、長くともわずか100年足らずの地上人生で出会うことは、よくありそうで実は奇跡的な出来事です。もし出会えたら、お互いが究極の類似性と親和力を持っているので、出会う形が家族あるいは恋人や親友のような関係になったとしても、お互いに魅かれ合い、心から愛し合う素晴らしい関係性になります。
もしこの地上人生でそういう出会いがなかったとしても、全く失望する必要はありません。アフィニティは、異なる人生体験を積むことの方が根本的な目的だからです。地上世界でも、家族全員が一緒に同じ時期に同じ国へ留学をすることは滅多にないように、霊的家族であるアフィニティも、地球という魂の留学先に一緒に留学することはほとんどありません。
ただ、同時期に別の地域や国々に分かれて地上人生を体験することはあります。あなたのアフィニティが、今現在アフリカや南米、ヨーロッパ、またはアジア諸国などで暮らし、生涯一度も会わない場合もあります。
その利点は、一つ霊的家族が別々の文化圏で異なる人生体験をし、一生を終えたあと再会してお互いの経験を共有できるのです。共有とはただ語り合うだけではなく、お互いの意識を融合させて、相手の人生体験を自分の人生のように体験することができ、またあなたの人生が相手の体験にもなり、双方のダイヤモンドの他の面に磨きをかけることができます。
このように、お互いの人生経験がアフィニティ全体の霊的成長に相乗効果をもたらし、ひいてはそれが人類全体の霊的成長に寄与するようになっているのです。
こうしたことが可能なのも、私たちの本質が肉体を超えた霊的存在であり、元々は一つの霊的エネルギーだからです。霊的エネルギーに、国籍も人種も性別さえもありません。
そのため、人が最もやってはいけないことの一つに差別があります。自分と異なる人種や国籍を持つ人たちなどに、差別意識を持って生涯を送ると、時に血縁関係よりも濃い永遠の家族を差別していたことにもなりかねず、一生を終えた後、深い悔恨に苦しむことになります。
特に近年はSNSの発達により、海外の様々な情報に誰でも容易に接することができます。それだけに、行ったこともなく直接会話さえしたこともない人たちのことを勝手に全て理解したつもりになって、特定の国の人たちや人種に対して差別的な発言をしてしまう人が少なからずいます。
これは霊性の低い部分が肥大化して、良心を上回ってしまう典型的な行為で、霊的法則によりその行為の責任をいつか必ず取ることになります。
私たちは、皆一つの霊的エネルギーなのです。自分と”異なる人”がいたら、お互いに一歩ずつ近づいて、直接話して理解してみようとすることは、これからの時代はますます重要になってきます。
情熱こそ、人生の道標
今回の記事では、魂の実像や内在する美しくも強い本質をお伝えしてきました。古今東西、どの時代や国の歴史に目を向けても、そこに生きる人にとって、人生は激動です。私利私欲に満ちた施政者がいて、争乱があり、理不尽な出来事があり、身を裂くようが別れがあり、逃げ出したくなるような厄介な人間関係があり、死の扉を自ら開けそうになるほど極限まで追い詰められることもあります。
いつ、どの時代にどの国に生まれていたとしても、この地上世界は晴天ばかりではないと、改めて人生の特徴をあるがままに受け入れれば、人生を悲観せずに泰然自若として明日を迎えることができます。
また、魂の特性を知れば、あなたにはいかなる艱難辛苦にも立ち向かい打破する勇気と力があることも、揺るぎない霊的真実です。一人一人に神聖な人生の使命があり、永遠の霊的家族を持つあなたの人生は、あなただけのものではありません。
もし、自分の人生の使命がわからない場合には、ヒントがあります。人は誕生前、霊体に人生の使命や目的の全てを記録してきます。その時霊的意識レベルで認識したものが、人生の途中で通常意識にわき上がってきます。それが情熱です。
あなたが進むべき道、果たすべきことは、あなたにしかわかりません。両親が敷いたレールの上を歩んでいて強烈な違和感を覚えたなら、それは、あなたが誕生前に計画した人生の目的と異なるためです。
本当の情熱は、自分を誰かのために、または社会のために役立てたいという純粋な想いから生まれます。その情熱さえもわからなかったら、あなたのHEARTにそっと耳を傾ければおのずと見えてきます。
最も簡単な方法は、日記のように毎日とにかく自分のありのままの感情を書き出してみることです。上手に書こうなどと一切思わずに、文章の構成や長短さえも一切気にせずに、その日の気分に関係なくとにかく思ったことをそのまま書き続けます。
小説さえもAIに任せる人がいるように、今後はAIの台頭によりどんどん人々の日常から、自分の心とつながる行為が消えていくかもしれません。
しかし、千年前に忠子もしたように、書くことはこれからもずっとずっと自分の心の深い部分とつながる素晴らしい方法です。そこには人生の答えが全てあり、自分の素直な感情の変化にも気づくことができます。やがてあなたの心の中に、「これこそが自分なんだ!」と思えるような美しい風景が見えてきたら、人生の神秘を信じて勇気をもってその方向へ大きな一歩を踏み出す時です。
今日も最後まで希望発見ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
Your spiritual friend,Lani
参考文献:シルバーバーチの霊訓(潮文社)、ベールの彼方の生活(潮文社)、インぺレーターの霊訓(潮文社)、これが心霊の世界だ(潮文社)、こころが安らぐ本(大和書房)、こころが満たされる本(大和書房)、私はできる!(サンマーク出版)、すべてうまくいく(角川書店)、人生をもっと幸せに生きるために(河出書房新書)、パワーオブ・ザ・ソウル(JMAアソシエイツ)、コナン ドイルの心霊学(潮文社)、これが死後の世界だ(潮文社)、霊力を呼ぶ本(潮文社)、街道をゆく十(朝日新聞社・忠子の詩及び佐渡島に関する歴史を引用)、ずっとやりたかったことを、やりなさい(サンマーク出版)