日本の歴史を彩るたくましき女性
歴史小説を読むと、主人公はほとんどの場合、男性です。命を惜しまず己の勇気を振り絞り、敵に、時代に、恐怖に立ち向かう姿は、私達読者を魅了し、日常を励ましてくれます。
そんな中、気になるのが日本の歴史を支えた女性の存在です。現代の日本は女性にとってまだまだ生きにくい時代なのは、誰もが感じるところだと思います。
歴史をさかのぼり、今よりももっと男性のほうが女性よりも圧倒的に社会的な力を持っていた時代に、日本の女性達はいったいどう人生を生き抜いたのでしょう?
ただ運命に翻弄され、なすすべもなく“男の言いなり”となってか弱い存在として、生きたのでしょうか。その答えを教えてくれるのが、歴史小説です。
ページを開くと、そこにはか弱いどころか、決断力に富み、時に可憐に、時に権現術数を使いこないし、激動の時代をたくましく生き抜いてきた女性の姿が浮かび上がってきます。
彼女達はいかなる時代、環境においても、人間らしさを失うことはありませんでした。私は、そんな女性達が流した涙や乗り越えた苦難の中に、希望を感じます。
シリーズ化というと大げさですが、歴史小説をご紹介しながら、日本史に輝く女性をご紹介していきます。彼女達がきっと、現代を生きる私達に、勇気と希望を与えてくれるでしょう。
最初は、昨日世界の三大宗教の教えの記事を書いている間、ふと気になった戦国時代に生きた細川ガラシャです。三浦綾子さんの著書『細川ガラシャ夫人』のご紹介を交えお伝えします。
苦難の中で見つけた希望
織田信長を討ち破った明智光秀の娘、細川ガラシャ。西暦1600年、関ヶ原の戦いの際、敵方の石田三成が人質として彼女をとらえようとしたのを拒んで、屋敷に火を放ち家臣に胸を突かせ、38年の生涯を閉じました。
自害しなかったのは、よく知られているように、ガラシャはキリシタンゆえ、キリスト教の戒律で自殺が禁じられていたからです。
また、敵が迫っても逃げなかったのは、非常に短気で愛憎の激しい夫の細川忠興が「万一の時は奥方を生かしてはおかぬように」という信じがたい命令を家臣に下していたからですが、他家の奥方勢が次々と脱出に成功する中、死さえ怖がらないガラシャの姿に、胸を打たれます。
ガラシャという名前はキリスト教の洗礼名で、元々は玉子と言います。三浦綾子さんの小説の中では、妻子をこよなく大切にする父の元、読書を愛し、率直に意見を言い、明晰な頭脳を持った玉子の少女時代が描かれています。
17歳の頃、細川忠興と結婚し、激情家の夫を支えますが、本能寺の変の後、父の明智光秀を失い、逆賊の汚名をきせられ、山奥に2年間幽閉されるなど波乱万丈の人生を送ります。そんな中、玉子は生きる希望を信仰に見いだします。
どんな時も自分らしく生きた女性*細川ガラシャ
自分らしく生きることを貫くべく、玉子は豊臣秀吉がキリシタン禁制を敷いた頃、夫に内緒で洗礼を受け、キリスト教に入信します。周囲が反対し、夫が何と言おうと、「信仰だけは捨てませぬ」といって聞き入れません。
『細川ガラシャ夫人』のとても興味深いところは、著者の三浦綾子さんご自身がキリスト教徒ということです。
同じ女性でキリスト教徒の細川ガラシャを描いたこの作品には、信仰を大切にしつつ、誰かの言いなりになるのではなく、あくまでも自分の信念を持って生きる大切さが描かれ、三浦さんの魂魄奮う熱意が伝わってきます。
いかに生きにくい時代や環境下においても、最期の瞬間まで自分らしく生きることに徹した細川ガラシャは、こんな辞世の句を遺しています。
『散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』
(花は散り時を知っているからこそ、美しい。私もそうありたいものです)
今日も希望発見ブログをお読みいただき、ありがとうございまいた。
Your spiritual friend、ラニ