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鳥越碧著『建礼門院徳子』*歴史小説で知る日本の歴史に輝く女性③

『建礼門院徳子』の祈りの場*京都大原にある『寂光院』

  私は一時期京都に夢中になり(今も大好きです)、史跡や世界遺産の神社仏閣を中心に、地図を片手によく訪れていた時期がありました。
  史跡に身を置くと、歴史小説を読んでいる時に思い描いた何百年前の風景と現在の景色が、頭の中で勝手に交差します。ある場所では幕末の150年ほど前に遡り、またある場所では400年以上前に遡り、戦国時代の情景を思い浮かべ、その当時に生きた人々の生涯に思いを馳せます。
  自然が豊かな京都・大原にある寂光院(じゃっこういん)という古寺に立ち寄った時、さらに時代を遡って、約800年も前に生きた建礼門院徳子という人にしばらく思いを馳せました。
  平家で絶大な権力を握った平清盛を父に持ち、16歳で高倉天皇と結婚、22歳で子(安徳天皇)を授かりますが、夫は21歳で亡くなり、父亡き後、史上有名な壇之浦の戦い(1185年)で平家は滅亡、息子(8歳)と共に海に身を投げ入れ、自分だけが敵方に助けられてしまった女性です。
 寂光院は29歳の徳子が涙にくれながら、愛する息子や一族の冥福を祈りつつ、余生を過ごした場所です。
 今回は鳥越碧さん著『建礼門院徳子』と共に、壮絶な一生を生き抜いた一人の女性に迫ります。
 

おごり高ぶれば、必ず衰退する 

平家物語の冒頭にこんな言葉があります。

祇園精舎の鐘の音
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰のことわりをあらわす

最初の2行は、この世の中は常に変化をしていることを表しています。
最後の2行は、どれだけ勢い盛んな者も、おごり高ぶれば、必ず衰える時がくることを表しています。
 おごり高ぶって衰えた象徴的な存在が平家で絶大な権力を握った徳子の父親・平清盛です。『平家にあらずんば、人にあらず』という言葉がまかり通ったこの時代、彼は実際に人を人とは思わぬ横暴さで敵対する勢力を次々と討伐します。
  突然、京都から福原(現神戸市)に都を移してみたり、自分をけなす人達の情報を耳にすると、すぐに軍勢を引き連れ、老若男女問わず討ち果たしました。
 現在、とても有名な観光地でもある奈良の興福寺東大寺にも火をつけ、中に逃げ込んだ人々(記録では3500名)の命を奪い、仏像や経文も全て灰にしてしまったのです。
 平清盛の義理の息子であり、徳子の夫である高倉天皇は、福原への遷都や、興福寺・東大寺が消失したことに深く心を痛められ、まもなく亡くなりました。21歳でした。仏教と儒教の教えを守り、とても礼儀正しく人々から尊崇されている方でした。 

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建礼門院徳子の許されぬ恋

 そんな父親を持ち、動乱の時代を生きた徳子の生涯を描く作品が、鳥越碧(とりごえみどり)さんの『建礼門院徳子』です。
 著者の鳥越碧さんは、平家と源氏の戦いがあった壇ノ浦のすぐ近くの北九州市のご出身で、大学時代を京都で過ごされています。そんなつながりから、建礼門院徳子をご執筆になさったそうです。
 この本の驚くべき内容は、息子と一族を滅亡に追いやった敵方の後白川法皇が、徳子の身を案じ京都・寂光院を訪れたことをきっかけに、2人の心が“許されぬ恋”に発展してしまい、心惑う徳子の慕情が、女性ならではの繊細な描写で描かれているところです。
 平家を滅ぼしたのは政治、徳子への想いは男女の理だと割り切る法皇に対し、恨みを抱きつつ、出家した身ながらなぜか法皇への想いを止められない徳子。
 映画『タイタニック』に象徴されるように、一つの出来事や時の流れに、『恋』が絡むと観客はのめりこみます。鳥越さんの本もついついページを捲る手が早まりました。

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悲しみを乗り越えて 

 それにしても、本当につらい人生だっただろうな、と建礼門院徳子という女性のことを考えると胸がしめつけられます。彼女のように名が残る人もいますが、平家滅亡の際、生き残った女性が40名ほどいます。
 平家の女性は男性のように厳しく処罰されませんでしたが、夫婦の形は跡かたなく崩れ落ち、親と子は離れ離れになり、親類に身を寄せるなど非常に苦しい生活を強いられました。
 史跡を訪ねたり歴史小説を読むと、名も知れぬ無数の人々が、懸命に生き抜いた人生の結晶が『今』なのだと思うと、言葉にはいい表せない感慨が胸に迫ります。
 深い悲しみを乗り越え、波乱万丈の生涯を生き抜いた建礼門院徳の部屋には、3体の仏像と仏の絵、そして息子(安徳天皇)の肖像画があったそうです。
 徳子は1191年に亡くなりました。最期の吐息を吐いた直後、徳子の胸に真っ先に息子が両手を広げて駆け寄り飛び込んできたはずです。決して忘れることのなかった温くて優しいぬくもりを、もう一度確かに感じたのです。
 
 今日も希望発見ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
 Your spiritual friend, ラニ

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