希望発見ブログLooking for HOPE 

心を癒す旅 ~もっと楽しく、もっと気楽に。

霊的真理、瞑想、留学、子育て、歴史、エンタメ、人間関係。様々な分野から、人生の希望を見つけるブログです。

心にこの詩を*詩人、茨木のり子さん『さくら』『自分の感受性くらい』『倚りかからず』

sakura

 『さくら』

今年も生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なり合い霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです 
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

  もうすぐ桜の季節ですね。春が近づくと、茨木のり子さんの詩を思い出します。『さくら』は1992年の作品です。最後の『死こそ常態 生はいとしき蜃気楼(しんきろう)』という言葉と、ピンクの美しい桜の花びらが散っていく姿が重なって、何気なく過ぎていく日常の中、一日一日を大切にしなければ、と思い出させてくれます。また、茨木さんの詩は、人生を見つめ直すきっかけをくれます。
  茨木さんは1975年に25年間連れ添った夫を亡くし、その後2006年に79歳で亡くなるまで、31年間一人暮らしをされていました。その間に2人の肉親を亡くしています。茨木さんは、葬儀もお別れ会もいらない、と遺書を残した上で、この世を旅立ったそうです。どんな死生観を持っていたのか。この詩に全て現れている気がします。
 茨木のり子さんは、私の祖母とほぼ同じ大正15年生まれで、青春時代に戦争を体験し、非常に苦しい思いをされた方です。祖母から当時の話を何度も聞きましたが、空襲の恐怖や今日食べる物もないつらさは、言語に絶します。
 先日、祖母は95歳の誕生日を迎えました。アルツハイマー病を患って3年。まだ私のことは覚えていてくれています。病気の進行とともに、笑顔の数が少なくなりましたが、誕生日の日は、大好きな肉やケーキをおいしそうに頬張って、笑顔を見せてくれました。祖母の小さな体を抱きしめると、なぜか涙が出てきます。辛苦を重ね、90年以上生き抜いて、尚も人生に挑戦し続ける祖母。しわしわの手がとても愛おしく感じます。東京オリンピックを楽しみにしていたので、これから何度も桜を見て欲しいなと思っています。
  いつかは散る運命にあるからこそ、命は尊く、人生は貴重です。『さくら』は散るだけでなく、見事に咲き誇ります。そこには完璧な美の調和があり、感動があります。

   調和することは、人間関係で言えば、お互いを敬うこと。限りある人生で出会う人達と、お互いを敬いあう関係を築いていくことが大切なのだということも、茨木さんは訴えたかったのかな、と勝手に解釈しています。詩の感じ方は人それぞれですね。茨木さんの素晴らしい詩をあと2つご紹介させて下さい。

『自分の感受性くらい』

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ 

 茨木のり子詩集 (岩波文庫)

『倚りかからず』(よりかからず)

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Your spiritual friend, ラニ