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希望発見ブログLooking for HOPE 

心を癒す旅 ~もっと楽しく、もっと気楽に。

霊的真理(スピリチュアリズム)、瞑想、歴史、旅行、子育て、エンタメ、人間関係。様々な分野から、人生の希望を見つけるブログです。

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ありがとう台湾!台湾こそ、世界の模範

 台湾と言えば、2011年の東日本大震災の時、2百億円以上もの義援金を送ってくれたことを思い出します。義援金だけでなく、連日のように台湾から慰めと励ましの声が届きました。昨年の西日本豪雨の際も、台湾政府はいち早くお見舞いのメッセージを発し、2千万円もの義援金を日本に送りました。
 
 日本の九州とほぼ同じ面積の中に2千3百万人が暮らす台湾。1972年に田中角栄政権が国交を断絶して以来、現在もその状態が続いています。なぜ、台湾の人々はここまで日本に良くしてくれるのでしょう。こんなに優しい台湾の人々に、もっと近づいてみたい気がします。

Liberty Square, Taipei

日本を愛する台湾人ガイド、陳さん

 台湾に、一度だけ訪れたことがあります。ツアーで台湾北部にある首都の台北からスタートし、台中、台南、高雄と、台湾の左半分を南下する旅でした。
 
 ツアーガイドさんは50歳ぐらいの陽気な台湾人の男性で、名前を陳さんといいます。日本語がすごく上手で、日本に対する思いがとても強く、台湾と日本の歴史に驚くほど精通している方でした。
 歴史だけでなく、太極拳を教えてくれたり、姓名判断を趣味にしていて、私と妻の名前を書き留め、「おおっ!これは素晴らしい!お2人の相性は抜群です!完璧です!」と、仮に嘘でも心から嬉しくなることを言ってくれる人でした。

台湾と日本の架け橋*八田与一さん

 私は陳さんの説明を一言一句逃すまいと、旅行中、ぴったりくっついて歩き回りました。
  陳さんは、50年に及ぶ日本統治時代に、台湾人の生活向上に貢献した日本人のことをよく力説していました。

 「八田与一(はったよいち)さんをご存じですか?この方は明治生まれの技術者で、命がけで烏山頭(うさんとう)ダムやたくさんの給水路をつくり、多くの台湾人の生活に豊かさをもたらしました。学校や病院も作ったんです!台湾人は皆、八田さんを尊敬し、現在も子供達に言い伝えています。どうか皆さん、八田さん名前を覚えていってください!」
  陳さんはこの後、八田与一さんがダム完成から数年後、フィリピンでのダム設計調査のため現地に向かう途中、アメリカの駆逐艦による爆撃で亡くなったことを教えてくれました。戦後まもなく、八田さんの妻、外代樹さんは、夫が造ったダムの放水口に身を投じました。
 台湾の人々は、今も教科書で八田さんの業績を子供達に伝え、八田さんご夫婦の銅像を訪れては手を合わせているそうです。感謝の気持ちを絶対に忘れないという台湾の人々の姿に、感動という言葉ではものたりないくらい胸を打たれます。

Do justice

世界に広がれ台湾流

 日本は日清戦争後から第二次世界大戦まで、台湾を50年間統治していました。その間、教育、公共事業、郵便など、様々な分野の生活レベルを向上するべく、全力で取りかかったようです。

  台湾は過去にオランダにも38年間統治されていただけでなく、スペイン人にも国土を荒らされた悲しい過去があります。日本統治前には清国の領土になり、大戦後は、蒋介石率いる国民党が百万人を引き連れて、中国大陸から渡ってきます。これで本当に自分達の国になるかと思いきや、略奪に遭ったり、銃殺刑に処されたりする人々が続出します。日本語をやっと覚えたと思ったら、今度は北京語に取りかからねばなりませんでした。台湾にいた人からすれば、日本時代を懐かしむ声があがっても不思議ではありません。

 でも日本人として、台湾の発展は自分達のおかげだ、なんて態度は決してとれません。

  台湾の元総統で、親日派で有名な李登輝(り とうき)さんは、現在96歳で日本語が上手です。統治時代は日本名に改名(岩里 政男)させられました。李登輝さんのような方はたくさんいます。でも、いったい誰が、名前や母国語に加え風習まで突然他国の人に変えられて、心の底から喜べるのでしょう。

 本当は、煮えくりかえるほどの思いがある。でも、その気持ちを子々孫々に伝えたところで、明るい未来は絶対にやってこない。だから、日本がしてくれた良いところを見つけて感謝の気持ちを伝え続けていく。

 李登輝さんや台湾の人々を想う時、そんな声が聞こえてきます。台湾の人々の考え方は、人類史における模範と言ったら、言い過ぎでしょうか。

 どんな国にも長所と短所があり、どんな人にも長所と短所があります。きっと『台湾流』に考えれば、ほとんどの紛争はなくなり、人間関係もずっと楽になる気がします。
 『台湾流』とは、長所に注目すればするほど短所が消え、短所に注目すればするほど、長所が消える、ということです。

  台湾流にできるだけ相手の長所を意識すれば、こんな風に思えるかもしれません。
 『思うところはある。でも、その気持ちを持ち続けたところで、誰も幸せにはなれない。だからやっぱりあなたのいいところを意識して、感謝の気持ちを持ち続けたい』

 すごく難しいけれど、たとえひどい目にあっても、どこかの時点で相手を許すことができれば、台湾のように成長できるのでしょう。

  許すことは、決して相手の卑劣な行為を認めるということではなく、自分が前へ進むための、自分自身へのプレゼントになると思います。

011

いつまでも感謝を*旅先の台湾人女性

 台湾旅行から1年後、沖縄に行った時のことです。首里城に向かっている時、30歳ぐらいと思われる女性に突然英語で声をかけられました。見た目は日本人のようです。聞いてみると、台湾から旅行に来ていて、友達と合流するまで2時間ぐらいあるんだけど、道に迷ってしまったそうです。彼女は日本語がほとんどできません。私は少し英語をたしなんでいたので、彼女が友達と会うまで、一緒に観光することなりました。

  私が台湾に旅行に行った時のことを伝えると、彼女は嬉しそうに微笑んで、「台湾の中でどこが一番気に入った?台北?台中?台南?高雄?」4択で聞いてきました。私は「台中」と即答しました。すると彼女は白い歯を見せて飛び上らんばかりに喜びました。彼女は台中の出身だったのです。他のところを言わなくて良かった~。

 楽しかった時間はあっと言う間に過ぎました。別れの時、彼女は私の手を強く握りしめて、何度もお礼を言ってくれました。私もとても楽しかったと伝え、お互いに反対方向に歩き始めました。

 しばらくして、何か気になり後ろを振り向くと、遠くのほうで小さく見える彼女が、こっちを向いて大きく手を振っていました。途中、手をとめ何度もお辞儀をして、また大きく手を振って・・・。今思い出しても、沖縄旅行の最高の思い出です。やっぱり、いつまでも感謝の気持ちを伝える台湾流が大好きです。

陳さんの笑顔

 台湾旅行の話に戻ります。空港で陳さんとお別れの時がきました。陳さんは一人一人に握手しながら、「皆さん、また来てください。皆さんが台湾に来て観光してくれれば、台湾の人達の生活も豊かになります。私は日本人が大好きです!台湾人にとって日本の人達は、お兄さんやお姉さんのような存在です!」

 旅行中、正確無比な説明をし続けてくれた陳さんでしたが、最後の最後に間違えてしまったようです。私は陳さんの手をしっかり握って言いました。
 「陳さん、あなた方台湾人こそ、日本人にとってお兄さん、お姉さんです」

 はにかんだような陳さんの笑顔が忘れられません。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 Your spiritual friend, ラニ


今回の記事はこちらの文献を参考に致しました。
台湾旅行を予定されている方はもちろん、台湾と日本の知られざる絆について興味がある方にもお勧めの良書です。


街道をゆく 40 台湾紀行 (朝日文庫)