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心を癒す旅 ~もっと楽しく、もっと気楽に。

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何度でも行きたい北海道*その発展を支えた『高田屋嘉兵衛』と『赤い服を着た人達』

Colorful Dreams

魅力的な北海道の礎

 北海道は今や日本人だけでなく海外の人達にとっても、大人気の観光地です。自然は驚くほど豊かで、食べ物はあまりにも美味で、それまで持っていた『おいしい』の概念が一掃されます。
 100万ドルの夜景とも言われる函館山からの景色は毎年多くの観光客を魅了します。私は変わっているのか、夜景よりも、人の動きと海、青森県の下北半島まで見える昼間の景色のほうが好きです。         
 面白いな、と思うのはわざわざ景色の価値に『ドル』を使うところ。確かに1億円の夜景と言うよりは、100万ドルといったほうが、人によっては100億円ぐらいの途方もない価値に聞こえそうです。きっとそこまでして、多くの人に夜景を見てもらいたいのだという地元の方の郷土愛なのでしょう。
 函館の人々が感謝を忘れない人がいます。淡路島出身の高田屋 嘉兵衛(たかたや かへい*1769-1827)です。下の資料館ホームページの文頭にも『函館発展の恩人』とあります。
 今回は、函館発展の礎を築いた『高田屋 嘉兵衛』と北海道開拓時代に命を賭して発展に貢献した知られざる『赤い服を着た人達』をお伝えします。

www.hakobura.jp

函館の恩人『高田屋嘉兵衛』は、上に媚びず、下に威張らず

 どの土地にも、地域の発展のために尽くした人はいますが、江戸後期に生きた人への感謝の気持ちを決して忘れまいとする函館の人々は素晴らしいなと思います。函館には高田屋 嘉兵衛の銅像まであります。函館開港100年を記念したものです。
 尚、司馬遼太郎さんの『菜の花の沖』高田屋嘉兵衛の見事な一生が描かれています。

 なぜ函館の人々は彼の資料館や銅像までつくり、感謝し続けたくなるのでしょう。
 高田屋嘉兵衛は江戸後期、淡路島の農家に生まれ、水夫や北前船を操る船頭を経て、大商人へと変貌を遂げました。航海者として潮や風の流れを読むことに長け、漁業でも大成功を収めました。北海道で最高の交易地『函館』を見いだし漁場を開拓し、街の発展の礎を築きました。
  高田屋嘉兵衛の人間性を表す有名な事件が発生します。『ゴローニン事件』です。ゴローニンとは、当時の北海道を実質支配していた松前藩に、2年3ヶ月もの間、幽閉されていたロシア人です。この時代、ロシアは何度も日本への侵入を繰り返し、両国で緊張が高まっていました。
 1812年9月18日、高田屋嘉兵衛を船長とする観世丸は国後(クナシリ)島付近でロシアに拿捕されました。ロシアは人質として嘉兵衛とあと4名連れ帰ることを主張します。船員を何とか守ろうと、嘉兵衛は「船長の自分が行くから、他の者には手を出さないでくれ!」と懇願しますが、ロシアは頑なに拒否します。
 仕方なく乗組員にその旨を伝えると、13名が嘉兵衛と共にロシアに行くと言い出します。命の保証はないことぐらい皆わかっています。高田屋嘉兵衛の『遭厄自記』には、備前ノ金蔵、小豆島ノ文治、同所ノ平蔵、淡州ノ吉蔵という記録が残っており、アイヌ人のシトカも含めて計六名がロシアのペトロパブロフスクに連行されます。この中の文治、吉蔵、シトカはロシアで亡くなっています。
 その後、嘉兵衛は巧みな交渉術でロシア側のリコルドと交渉し、ゴローニンの解放に成功し、拿捕から8ヶ月後自らも無事に日本に戻り、日露の和平に貢献します。江戸時代に1人の商人が優れた外交官となり、とても偉大なことを成し遂げました。
 1999年に高田屋嘉兵衛、ゴローニン、リコルドの子孫が函館市内で会い、日露友好の碑を建立しました。
 高田屋嘉兵衛は一生を通じて『上に媚びず、下に威張らず』という生き方を徹底して貫いた人でした。後継者の育成にとても熱心で、若い人達に多くのチャンスを与えました。ロシアに拿捕された時の部下の行動を見れば、いかに彼が慕われていたかがわかります。今の時代よりももっと身分が厳しかった江戸時代に、人に上下をつけない生き方をし、函館を発展させ、日本の窮地を救った高田屋 嘉兵衛。彼は後年、私財を地域発展のために投じています。

赤い服を着た人達の正体

  雄大な自然に囲まれて長々と続く1本の道をドライブするのも、北海道旅行の魅力の1つです。でもその道路、元々はいったい誰がつくってくれたのでしょう?

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 西郷隆盛や大久保利通が亡くなった後の明治政府は、西洋諸国の侵略にひどく怯えていました。もっと力をつけて太刀打ちしたい政府は、北海道開拓に力を入れ始めました。
 どうにか安い労働力で、開発を推し進めることはできないか。彼らが考えたのは、赤い服を来た『囚人』です。
 彼らをただ刑務所で生かしていたら、お金がかかる。犯罪者なんだから、死んだって別にいい。国家予算の削減にもなる。当時の役人の記録にもはっきり残る、恐ろしいほどの命の軽視です。
 政府は犯罪者を大量に極寒の地に送り、布切れ一枚の服だけを与え、暖をとる手段も与えず、道路建設、鉄道建設、湾岸の整備、鉱山の開発など、囚人達に非常に過酷な労働をさせ、結果、多くの死者がでました。脱走を試みても、自然の脅威にはばまれ、生き残るのは困難です。
 たった150年前、手つかずの自然が広がる北海道を、卑劣すぎる環境に置かれた人々が絶望の中、命を賭して切り開いたという動かし難い真実。しかもそれを国家が主導していたというのは、とても恐ろしいことです。
 『囚人』に見る北海道開拓の歴史は、負の遺産として目をつむってしまうのではなく、私達が普段何気なく使う全てのものには、必ず誰かの手がかかっていて、感謝することの大切さを思い出させてくれます
 函館の人々が実践しているように、感謝の気持ちを持ち続け、高田屋嘉兵衛のように『上に媚びず、下に威張らず』という人間に上下をつけない生き方は、北海道の魅力的な人々と雄大な大地が教えてくれる、心に留めておきたいことだと思いました。
 吉村昭さんの小説『赤い人』を参考に致しました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Your spiritual friend,  ラニ

【この記事は2019年5月29日に、加筆・訂正致しました】

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