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希望発見ブログLooking for HOPE 

心を癒す旅 ~もっと楽しく、もっと気楽に。

霊的真理(スピリチュアリズム)、瞑想、歴史、旅行、子育て、エンタメ、人間関係。様々な分野から、人生の希望を見つけるブログです。

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荒波を乗り越えた!たくましく生き抜いた日本人漂流民

 鎖国をしていた江戸時代、たくさんの船乗りが航海中に漂流して、行方が分からなくなったり、ロシアやアメリカにたどり着きました。亡くなった人も多く、運良くどこかの国にたどり着いても、 彼らは現地の人を見て、今で言えば火星人に会うほど驚いたことでしょう。もちろん、日本人を見たこともないロシア人やアメリカ人も火星人を見たほど驚きます。

  そんな中、命の危険におびえながら、異国の文化や風習に何とか順応しようと努力し、言葉を覚え、いつの日かもう一度日本の大地を踏みしめることを夢見ながら、たくましく生き抜いた人達がいます。
 漂流民の大変さは、本当に帰国のチャンスが来ても、キリスト教禁制を敷いていた幕府から、重罪人扱いを受け非常に厳しい取り調べが待ち受けていることです。中には何年もかかってようやく日本のすぐそばまで戻って来たにもかかわらず、船が幕府の砲撃にあい、帰国できなかった人達もいます。また、そんな幕府を恐れ、生きている間に家族に一目逢いたいと願いつつ、帰国を諦め、異国の地で一生を終えた人もいます。 
  漂流民の話を知って感動するのは、人が人生で経験しうる最も過酷な極限状態の中で、彼らは仲間を思いやり、最後の瞬間まで助け合ったという事実です。
  今回は、日本の歴史に貴重な教訓を残した、仲間を思いやりながら懸命に生き抜こうとした漂流民をご紹介します。

Mt. Fuji view from Enoshima Iland

極限状態の中でも思いやりと希望を忘れなかった漂流民

 八丈島からさらに南へ300キロ下った場所に、『鳥島』という無人島があります。江戸時代、そこに何度も漂流民がたどり着きました。彼らがまず驚くのは、そこには食べ物が海藻や貝しかないことです。仕方なく、渡り鳥のアホウドリを捕まえて、干物にして生き延びる術を見いだします。島にある洞窟には、過去に島から脱出した人達が使った鍋や釜などの生活具がおいてあり、脱出の経緯などを記した伝言を残していました。それこそ、漂流民の希望でした。彼らは、絶望の中、またあとから来るだろう漂流民に、できる限りの物資とメッセ―ジを残しました。この島にたどり着いた漂流民の中には死んでいった人もたくさんいますが、生き残り、八丈島まで戻り、再び故郷に戻った人達もいます。
 吉村昭(1927-2006)さんの『漂流』では、土佐の船乗り長平が12年間も鳥島で他の漂流民達と懸命に生き抜き故郷への生還を果たした様子が克明に描かれています。
 故郷に戻った長平は、無人島というあだ名をつけられながらも、妻子を持ち60歳まで生きました。墓石にも無人島野村長平とついているそうです。


漂流 (新潮文庫)
 

漂流民から豪商へ*日本人として初めてイギリス人に帰化した音吉

 絶景広がる現在の愛知県美浜町出身の漁師、音吉(1819-1867)を含めた14名を乗せた宝順丸は、1832年10月に遠州灘で暴風にあい、14カ月もの間漂流し、アメリカの西海岸にたどり着きます。その間、仲間が次々と命を落とす中、音吉を含めた3名だけが生き残ります。音吉はその後、仲間と英語の教育を受けた後、日本へ帰国のチャンスを得ますが、幕府に阻まれ、日本に入国できません。
 その後、上海に身を移し豪商になり、ジョン マシュー オトソンと名を変え日本人として初めてイギリス人に帰化アヘン戦争にも従軍し、妻子を病気で失うなど激動の人生を乗り越えつつ、福澤諭吉とも交流します。上海で基盤を築いた音吉は、自分と同じような運命をたどり漂流民となった日本人が帰国できるよう尽力し、実際に成功させます。
 運命の荒波に翻弄されつつ、一人の人間が乗り越えるにはあまりにも過酷な人生を送った音吉は、日本の大地を再び踏むことなく、シンガポールで49年の人生に幕を下ろします。彼は息子に「自分の代わりに日本に行って欲しい」と遺言を残し、息子のジョン W.オトソンは1879年(明治12年)に、父に代わって日本に帰ります。
 2004年にはシンガポールで音吉の墓が発掘され、翌年漂流から173年ぶりに遺骨が故郷美浜町に納められました。
  三浦綾子さん(1922-1999)の『海嶺』は音吉の前半生をとてもわかりやすく描いています。


海嶺 全3冊合本版 (角川文庫)

リンカーン大統領にも会った!13歳で漂流民となった彦蔵

 音吉の宝順丸が遭難してから18年後の1850年10月、同じ遠州灘で、13歳で母親を亡くしたばかりの彦蔵(1837-1897)を乗せた栄力丸が遭難し、52日間の漂流の末、アメリカのオークランド号に救助され、サンフランシスコにたどり着きます。
 彼は親切な人々に助けられ、英語を覚え、1858年アメリカに帰化してジョセフ・ヒコと名のり、最初の日系アメリカ人となりました。彼はアメリカ合衆国十四代大統領、フランクリン ピアースや第15大統領ジェームズ ブキャナン、そして第16代大統領のエイブラハム リンカーンと会見しています。
  彼は鎖国政策によって帰国を阻まれますが、駐日大使の通訳などをして、漂流から9年後に帰国をし、日米外交に尽力します。しかし当時の日本は、外国人が狙われる尊皇攘夷思想の真っ只中で、身の危険を感じたアメリカ国籍の彦蔵は再びアメリカに戻ります。
 吉村昭さんの『アメリカ彦蔵』には、窮地に立たされていた彦蔵や他の日本人漂流民が、現地の人々に家族や親友のように親切にされている姿が描かれています。

アメリカ彦蔵 (新潮文庫)


漂流民を心のどこかに

 作家吉村昭さんは、漂流民の歴史は日本の貴重な海洋文学だとおっしゃっています。
 一旦船が遭難に会えば、何ヶ月も食べ物、飲み物がない船上で、どこにたどり着くかもわからない中、仲間が次々に命を落としていきます。気がふれて自ら海に飛び込む人もいます。灼熱の太陽に照らされ、飢えとのどの渇きに堪えながら、極限の辛苦を乗り越えて助け合った人達の記録は、人生の荒波とは決して無関係でない、現代に生きる私達に、貴重なメッセージを伝えています。
  同じ日本人が持つ、忍耐力や順応力、極限状態の中でも忘れない思いやりに何かを感じることができれば、人知れず故郷を思い、命を落としていった先人達の貴重な一生が、より輝きを増す気がします。
 たとえ生き延びても帰国できなかったり、『荒波』を乗り越えられなかった人達は、その生涯を閉じる時いったい何を思ったのだろうと想像すると、当たり前のように過ぎていく今この瞬間のありがたさが、とても身に沁みます。
 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 Your spiritual friend, ラニ

  
吉村昭さんと同時代に生きた作家、司馬遼太郎さんのことも書いています。 

www.spiritualfriends.work