こんばんは。ラニです。 ちょっとだけ、話がそれます。 ブログも似ていると思います。 聞いて欲しい。今まで一度も会ったことがないけれど、だからこそ話しやすい。知らない人よ、とにかく聞いてほしい!わざわざ読んでくれたの?ありがとう!みんなそんな思いで、書いているんじゃないでしょうか。 それでも眠れない方は、せめてオードリーの顔だけでも。きっといい夢見られます。 よい週末を!
ブロガーは弱さをさらけだす勇者
今まで書いた記事を見直していたら、随分自分のことをさらけ出していることに気づきました。司馬遼太郎さんのことを書いた記事の中でも、20代の頃、パニック障害になったことをさらりと書いていて、深呼吸の記事でも同じことを書き・・。そのことは、今まで親族以外の誰にも言ったことがなかったことなのに、ブログというのは、自分の弱いところ、また弱かったところを、いとも簡単にさらけ出せてしまうのなのだな、と思ったりします。
それは何も私だけじゃなくて、いろんな方が堂々と自分自身をさらけ出しています。時には私生活まで赤裸々に。みんな、本当に勇気ある。すごい冒険心。まだこの世界に入って1ヶ月に満たない新入りですが、この『ブログ界』というのは、つくづく勇者の集まりだと感じます。
不思議なもので、一番書くつもりのなかった、思いつきのようなきっかけで書いたメルカリの記事を一番読んでいただいていたりして、ブログはそんな面白さもあるんですね。だったらメルカリ第2弾を書いてみようかなどと、姑息な考えがよぎったりして・・・。でも最近、オードリーヘップバーンがメルカリを抜いたので、今後オードリーを抜くツワモノが現れるのか、密かな楽しみです。発達障害のコウタ君。でも、決して障害じゃない。
先日、旧友と再会しました。彼女は二児の子供を持つ、お母さんです。彼女とは、子供の頃少し遊んだだけなのに、お互いに子供ができてから、交流が始まりました。旧友といっても、普段はほとんど連絡をとらず、ごくたまに会った時、子供の話をする程度です。だから遠~い友達です。
そんな友人と、子供の何気ない会話をしていたら、突然、両手で顔を覆って泣き出しました。どうしたのか尋ねると、実は次男が発達障害なのだと言いました。さらに、一番つらいのは彼女の母親が、そのことを世間に隠そうとしているのだと。とにかく、すごいストレスを抱えていました。
その子、コウタ君に以前会った時は、発達障害のことは全く気づきませんでした。天真爛漫で元気いっぱい。目を輝かせている、愛らしい少年です。
話を聞いたら、先日もお葬式の時、突然叫んで走り出したのだとか。でも、天才的な記憶力を持っていて、小学校低学年にもかかわらず、お経をあっという間に覚え、大好きだったおじいちゃんのために、毎朝仏壇に向かって唱えているそうです。
彼は一つのことに集中すると、他のことを見向きもせず熱中します。完全に自分の世界に入り込めるすごい能力の持ち主です。コウタ君、本当にすごい、と感心どころか感動します。コウタ君は、何かに熱中している時、とても幸せなはずです。
私は瞑想を日課にしていて、瞑想すると深い幸福感が得られるのは、まさに深く集中しているためです。私がそのことを知ったのは、30歳をすぎてからです。でも、コウタ君はもうすでに知っています。
まるで、「みんな、何をそんなに忙しくしてるの?ほら、もっと好きなことしてごらんよ。すっごく楽しいよ」と言わんばかりに、その小さな背中で教えてくれています。
『障害』という言葉が、何か人より劣っている、足りないという見方を周りの人にさせてしまいます。でも、コウタ君は多くの人とは幸せの観点が違うだけです。一つのことに深く集中することのできる特殊能力を持っていて、人とは全く違う視点から世の中を眺めています。足りないのではなく、素晴らしい幸福を感じる能力と人生観を生まれながらにして持っています。
そんな子供達に、障害という言葉をつけるのは、やるせない気がします。できないことばかりに注目するのではなく、違うものを持っている素晴らしい子供達という観点から、社会が尊敬の眼差しを持ってできるだけ寛大に寄り添うようになれば、コウタ君とコウタ君のお母さんも、安心して生きていけます。
お経をあっという間に覚えた天才的な頭脳を持っている彼は、本当の幸せの意味を教えてくれる特別な使命を帯びた少年です。その母親もまた、特別な使命を持った母親です。どうか胸を張って欲しいと伝えました。
「そんなの綺麗ごとよ!私の大変さも知らないで!あんたに何が分かるの!」と彼女は思ったかもしれませんがそうは言わず、何度もうなずき、泣き止んで笑顔を見せてくれました。別に素人の私の言葉が効いたわけではなく、誰かに聞いてもらえたことで、少しはすっきりしたはずです。
人は皆、ただ聞いて欲しいんだと思います。それも彼女が遠い友人の私に胸の内を吐き出したように、時に、遠い人だからこそ、本当の気持ちを言いやすかったりします。彼女と話し終わった後、これから誰かに相談されたら、何か言おうとするのではなく、もっと聞いてあげることに意識を向けたほうがいいかな、と感じました。ブロガーは幸せへの近道を通っている!
彼女は笑顔で去って行きました。ブログも一緒で、自分の気持ちをただ書き出すと、何だかすっきりします。聞いてもらえるかどうかはおいといて、コウタ君のように自分の気持ちに正直に書けば、瞑想並みに健康的だなと感じます。
ブロガーは皆、生粋の作家だとつくづく思います。
作家と言えば小説家を思い浮かべます。でも、小説家になるには、原稿用紙に何百ページ分か書いて、出版社の新人賞に応募するそうです。千人以上の応募者の中から1次審査、2次審査を通れたら、10人ぐらいに絞られて、「先生」と呼ばれる有名小説家の審査を受け、1番になれたら、晴れて本になり出版されます。やっと「作家」になれるのです。でも、売れても必ず締め切りがあるので、中には喉元にナイフを突きつけられているような感覚で、書いている作家さんもたくさんいらっしゃるでしょう。
それでも、書く。小説家は本当にすごい。
その点ブログは気楽です。半年もかかる審査もなければ、先生方のお墨付きもいらない。締め切りも指定枚数もないから、書きたい時に書けるだけ書けばいい。
かつて、作家の司馬遼太郎さんは、『自分が書いた小説は、若い頃の自分に向けた手紙だ』とおっしゃいました。司馬さんは青春時代に戦争を体験し、日本が好きになれなかったことがきっかけで、日本の素晴らしさを見つけ、小説にしました。
自分のブログを見直していたら、結局自分自身に向けた手紙なのだと気づきました。パニック障害やうつ病を患った時の若くてもろい自分に、励ましの気持ちを込めた手紙なのです。
「何をそんなに恐れているんだい?心配しなくても大丈夫だよ。絶対に死んじゃダメだよ。顔をあげて、よくまわりを見てごらん。生きる希望は、いくらでもあるさ。君は決して一人じゃない。恐る恐るでもいいから、勇気をだして一歩前へ進もうよ」
また、今の自分が人生でどんな場所にいるのか、教えてくれる手紙でもあります。
素晴らしい人生観と幸福感を持っているコウタ君を、発達障害と呼んでいる社会には、作家の概念もこれからは変えてもらう必要があります。
世の中で、ブロガーほど自分自身を見つめ、楽しく自由に健康的に文章を書いている人達は他にいません。全てのブロガーは間違いなく、人生を良い方向に舵を切っています。
書くことは、自分への手紙でもあるのだから、いつだって自分という貴重な読者が1人います。これを作家と呼ばずして、いったい誰を作家と呼ぶのでしょう。
そう、ブロガーこそ、正真正銘の作家なのです!
今日はこんな手紙を自分に書いてみました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
Your spiritual friend, ラニ
ストレスが溜まっている方、明日が不安な方、体調が悪い方、眠る前に布団の中で何回か大きく深呼吸(鼻からすって口から吐く)してみてください。きっと楽になります。
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