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真実を求めた不屈の魂*『ジョルダーノ ブルーノ』と『ガリレオ ガリレイ』

The bridge across...

ジョルダーノ ブルーノ

 西暦1600年と聞いて、何を思い浮かべますか?多くの方は、豊臣秀吉の死後、日本が東西に分かれ、史上最大の大激戦となった関ヶ原の戦いを思い浮かべるのではないでしょうか。
 もし、関ヶ原の戦いについてもっと知ってみたいと思われる方は、司馬遼太郎さんの名著『関ヶ原』がおすすめです。何度読み直しても面白く、当時の関ヶ原の戦いの情景や、時代の流れに巻き込まれていく人々の明日をも知れぬ緊迫した心情が、いきいきと伝わってきます。
関ケ原(上) (新潮文庫) 
 さて、関ヶ原の戦いが行われたのは9月15日ですが、それよりも約半年前の2月17日、イタリアではある偉大な魂を持った哲学者が火あぶりという残酷な刑でこの世を去りました。
 その哲学者の名前は、ジョルダーノ ブルーノといいます。彼が生きた中世のイタリアには、思想や言論の自由がありませんでした。現代でもそうですが、思想・言論の自由のない国には、恐怖によって人々を取り締まる権力機構があります。中世のイタリアの場合、それはローマカトリック教会でした。
 ローマカトリック教会が聖書に照らし合わせた解釈の軌範が、庶民の自由の定義であり、これをわずかでも外れた場合は容赦なく異端審問にかけられます。異端審問で『異端』と判決が出た場合は、激しい拷問の末、火あぶりの刑に処せられてしまいます。実際、火あぶりの刑により、処刑される人々がたくさんいました。
 宗教改革を行ったマルティン ルターが、コペルニクスが提唱した地動説のことを、神への冒涜だと罵ったのは有名な話ですが、この時代、多くの人々は太陽や惑星は静止した地球の周りを回っているという天動説を信じていました。それがキリスト教の教えと一致していたからです。
 ブルーノは1548年に、現在のイタリアのカンパーニュ州に生まれ、修道士としてキャリアをスタートします。修道院生活では読書に勤しみ、元々、型にはまった考え方を嫌う性格のブルーノは、ローマカトリック教会に禁じられていた書物を読み始め、のめり込みます。ある時、古代ローマの哲学者ルクレティウスの本『物の本質』とう本を読んだことにより、より大きな宇宙観を抱くことになります。One Brief Shining Moment

真実を求めて*ブルーノの闘い

 カトリック教会管轄の異端審問所より異端の嫌疑をかけられたブルーノは、身の危険を感じ故郷のナポリを離れます。ブルーノは30歳の頃、睡眠中に無限の宇宙の中にいる自分の夢を見ました。これぞ神と啓示と信じた彼は、それまでカトリック教会によって教えられていた、地球が宇宙の中心という説は、間違っているという確信を得ます。
 ブルーノはそのことをヨーロッパ中に広めようと、放浪の旅を続けますが、スイスでもドイツでもイギリスでも全く相手にしてもらえません。それでも挫けなかった彼は、家庭教師や大学で講義をしたりして国から国へと放浪生活を続けます。
 1591年に意を決してイタリアに戻りますが、ほどなくして世にも恐ろしい異端審問所に捉えられ、サンピエトロ寺院の地下にある陰鬱な石牢に八年間も幽閉されてしまいます。執拗な尋問、拷問にも、ブルーノは考えを変えませんでした。間違っていることは間違っていると、言い続けたのです。
 カトリック教会も必死です。ブルーノが公にした主張を認めれば、絶対的に信じられている聖書の信憑性が疑われ、教会の権威を揺るがしかねないからです。枢機卿団を中心とする異端審問所は、自らの権益を守る為なら、いかなる残酷な拷問や処刑もいといません。ブルーノはそれをわかっていながら、自らの主張を変えませんでした。
 そしてついに1600年、2月17日、ブルーノは裸のまま縛られ、火あぶりの刑に処せられます。彼は死の直前、枢機卿らに毅然とした態度でこう言い放ちます。
「正しい真理を前に、判決を下したあなたのほうが、私より恐れているのではないですか?」
 
ガリレオ ガリレイが自ら作った望遠鏡で天体を観測し、ブルーノの説が正しかったと確信を得るのは、ブルーノの死後10年経ってからです。Justus_Sustermans_-_Portrait_of_Galileo_Galilei,_1636

ガリレオ ガリレイ*飛躍と挫折

 ガリレオもブルーノと同様、人と異なる発想の持ち主です。彼はそれまで戦争の時などに遠くを見るために使われていた望遠鏡を、夜空に向けました。最初に、月を観測しました。それまで傷一つない真ん丸の天体と信じられていた月には、たくさんの凹凸がはっきり見えました。驚いたガリレオが次に木星に望遠鏡を向けると、そばに4つの衛星があることを発見します。
 その中の一つに王家のメディチ家から名を取り、メディチ星と名付けたことから、メディチ家直属の天文学者となり、当時としては最高の名誉と富を得ることになりました。   その後もガリレオの快進撃は止まらず、望遠鏡による実験と観測により得た情報を『星界の報告』という本にまとめ、教皇庁に献上します。キリスト教聖職者もガリレオの活動を支持し、ガリレオ手法とも呼ばれた彼の実験と観察の方法による新たな発見を、強力にあと押しします。これらの活動は聖書の域をでなかったので、教会は支持していました。

星界の報告 (講談社学術文庫)

 そんなガリレオに人生の大きな転機が訪れます。金星を観測している時でした。ガリレオは金星が満ちている時は小さく、欠けている時は大きく見えることを観察し、金星や地球が太陽の周りを回っていることを発見したのです。
 やがてガリレオが地動説を支持していることは、教会の知ることとなり、ブルーノと同様、異端審問所に召喚されます。結果、『異端』の判決を言い渡されます。本来はブルーノのように火あぶりの刑に処せられるところでしたが、枢機卿の中にはガリレオの『ファン』もいたため、死罪は免れ、今後は絶対に地動説を支持してはならないと約束させられます。Shadows of the sun1

悲劇にもめげない*ガリレオの挑戦

 あきらめきれないガリレオは10年以上の時の経過を経て、61歳の時、地動説を解説した『天文対話』の執筆を開始し、出版に踏み切ります。結果、ヨーロッパ中の大ベストセラーになりました。人々の好奇心を十分に満たし熱狂的に支持されたのです。しかし、ローマカトリック教会が見逃すわけはありません。
 ガリレオは異端審問所に召喚され、有罪を宣告されます。敬虔なカトリック教徒であったガリレオは、地動説を放棄します。1633年6月22日、ガリレオ69歳の頃のことです。
 彼の著書、『天文対話』は、カトリック教会によって禁書となり、回収の上、燃やされました。ガリレオフィレンツェの山荘に幽閉されます。この間、彼は身の周りの世話をしてくれていた最愛の娘に旅立たれ、失明してしまいます。ガリレオのすごさは、それでも挫けず、諦めず、真実を残すのだという不屈の魂をひたすら鼓舞しながら、新たに執筆を続けたことです。

ガリレオ ガリレイ*渾身の作が与えた影響

 1638年7月、ガリレオ渾身の最後の著作『新科学対話』が同じキリスト教でもプロテスタントの国である、イギリスやオランダで出版されます。ガリレオ74歳の時でした。
 この『新科学対話』は、のちに近代科学を芽吹かせ、イギリス人のニュートンに多大な影響をもたらします。ガリレオの真実に対する不屈の魂がニュートン万有引力の発見につながり、さらにそれは、アインシュタインにも受け継がれました。
 近代科学の扉は中世の時代、とても重たく、開けようとする者には容赦なく拷問や処刑が襲いかかりました。当時の盲目的な信仰に勇気をもって立ち向かい、生きたまま焼かれた名もなき勇者たちの魂魄は、真理を追究する次の勇者たちに引き継がれ、ついにガリレオ ガリレイによって、開かれたのです。Candles

 ガリレオが息を引き取ったのは、出版から三年後、1642年のことです。77歳でした。彼は多大な功績にも関わらず、異端者として葬られました。
 彼がローマカトリック教会によって許されたのは、ガリレオ裁判から359年後の1992年10月31日のことです。当時のローマ教皇ヨハネパウロ二世が、ガリレオ裁判の過ちを公式に認め、謝罪しました。
 もっとも、彼の霊は教皇の謝罪のあるなしに関わらず、死後すぐに愛する娘や多くの友人・知人に出迎えられ、その多大な功績と類を見ない勇気に、終わりのない祝福と称賛を受けたことでしょう。

ガリレオ・ガリレイ―地動説をとなえ、宗教裁判で迫害されながらも、真理を追究しつづけた偉大な科学者 (伝記 世界を変えた人々)

ブルーノとガリレオから学ぶこと

 当時のローマカトリック教会ほど巨大で残忍な組織でなくても、私達は日常生活の中で、他者の不正を目にすることがあります。相手が巨大組織であれば、ブルーノのように火あぶりの刑に処せられることは今の時代はないにせよ、誰だってひるむでしょう。
 そんな時、いったいどう行動するのか。不正に目をつむるのか。それとも、勇気を振り絞って立ち向かうのか。助けを求めるのか。逃げるのか。何が正解か、どうするべきなのか、答えは自分の中にしかありません。もちろん、場合によっては自分の身を守るために、『逃げる』という選択肢も立派な行動です。ただ、こうして勇気をもって真実に立ち向かった人達がいたということを、心の片隅にでも刻み込んでおくことで、必要な時に勇気が湧き上がるかもしれません。
 歴史を知ると、私達は皆、つながっているのだと思わずにはいられせん。何百年前に遠い国で生きた人達とも、私達はどこかで皆、つながっています。私達の今現在の思考や行動が、何百年後に世界のどこかに生きている人達にもつながることだって、十分考えられます。ガリレオのような天才じゃなくても、せめてお互いを思いやり、地球にやさしい態度で、毎日を送りたいものですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Your spiritual friend, ラニ

【この記事は、2019年3月21日に加筆・訂正致しました】

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 アインシュタインのことも書いています。

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